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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
小島慶子著『わたしの神様』幻冬舎 2015年

 「私には、ブスの気持ちがわからない」。冒頭の一文に爆笑。そのまま途中まで、「ワハハそんなのあり!?」とブラックジョーク満載と受け止めていたが、読み進めるうちに、そんなことをギャグではなく本気で言っている女子アナたちの救いのないホラー小説だとわかってくる。
 他者(もっぱら男、それもどいつもこいつも尊敬に値しない男たち)の目で評価されることにしのぎを削る女子アナたち。いや女子アナだけではない。女子アナをバカにし、政治部記者を経てディレクターを務める望美も結局は女子アナと同様、男たちの評価、それも不合理で恣意的な評価によって簡単にキャリアをつぶされる。仁和まなみの姉は、東大を卒業しパイロットになったが、結局父を振り向かせることはできない。まなみの養父(姉の実父)もまた、後妻の連れ子であるまなみに異様な執着を示し性的虐待ともいうべき写真撮影を繰り返す不気味で愚かな男。優秀な姉も、結局は、そんな愚かな男たちの評価基準から自由ではなく、それを意識しているからこそ、まなみを憎悪する。まなみも姉を蔑視する。有能さやよりも、美貌と若さ。「ええそんなベタな価値観?」と失笑してしまうような男たちのバカバカしい視線にさらされることを自明としてそこで抜きん出た存在になろうとしたたかに生きようとしても、そんな生き方を軽蔑し自分の能力がいつかは評価されると懸命に生きようとしても、女たちは男たちに簡単に斬り捨てられ、振り回され、つぶしあい、つぶされていく。
 男と女の関係も打算と偽善、裏切りに満ちている。裏切られてスキャンダルで失墜…という逆境さえバネにのし上がるためのバネ。「お互いを尊重し合うのが愛情では?」と疑問を抱こうものなら、登場人物たちから失笑されるだろう。しかし、いくらしたたかで冷酷な計算のもとで「自分」を保とうとしても、気まぐれな男たちに自分を委ねてしまうことは、どれだけ危険なことなのか。DVをふるわれても、計算ずくで結婚をやめようとしないまなみは、計算ずくのようで、自分への現実的な危険をわかっていない。結婚自体が破滅的な自傷行為なのだが、まなみには、もう当に自分の尊厳などどうでもいいのだ。自分への評価に異様に固執しているようで、自分の価値など自分自身がむしろ尊重していない。つい、DV被害者の事件を専門とする弁護士としては、自分でも自分を大切にしないまなみが直面する危険を予期し、「危ない!自分を損なわないで!」と願う。
 仕事にも誇りとやり甲斐を感じていたが、「賞味期限切れ」とみられていることもひしひしと感じ、出産のため休職することで、周囲も自分もほっとする佐藤アリサ。彼女もまた、育児もそれ自体が嬉しいことというより、「虐待でもしかねない」と内心見下している母親、自分より若くてアイドル扱いされている女子アナ仁和まなみetc.の目を気にし、「あの女たちが望んでも得られない仕事、誰よりもいい子で可愛い娘」と支えてくれる夫がいる自分こそ「満ち足りているとみられている」はずだという自意識が支えになっている。でも、ネイルは剥げ、出産後もたるみが戻らない体etc.現実には「幸せな妻・母」コスプレを維持できず、疲れ果て、萎えていく。信頼していた夫が緩みきった女と長く不貞関係にあることも知ってしまう。原田マハ『独立記念日』に収められていた、スキャンダルで失職した元女子アナが自分のネイルが剥げているのに気づき自嘲気味になるが、剥げてしまったそのままの自分への夫の愛を確認することにもなる短篇を思い出す。この小説はそんな「ほっこり」を許してくれない。精神のバランスを崩しても、お受験を意識して夫との関係を清算するつもりはないし(別居はするが)、「子どもだけが私に報いてくれる。あの子を完璧な女の子にするために、私は人生を捧げよう」という決意は、子どもをきつく拘束する毒母の呪いのようで、これまた恐ろしい。そう、この小説は、男女、女女、さらには親子関係に通底する毒を、これでもかと描き出す。
 男たちの評価を競い、分断される女たちの間も、優越感、蔑視、反目、不信感しかない。シスターフッドは生まれようがない。まなみがDVを受けていることを知った望美が逡巡の果てに、それまで女を武器にしているとバカにしていたまなみに忠告するところに、シスターフッドの萌芽が…とほっとしそうになったが、甘かった。まなみは、忠告を受けいれない。とうに、自分が危険にさらされていることを知りながらも、世の中がうらやむような夫婦を演じようと決意しているのだから。乾いた絶望感にすくむ。
 ただ、周辺的なところでは、良識と、さらに、友情など連帯も生まれるかもしれない。FtM(生物学的性が女性で、自己意識が男性)の滝野と「庶務」の金井は、周辺にいるからこそ、女たち男たちの優越感や蔑視、憎悪を相対化して眺めていられる。冷静な観察者である滝野は易々と、テレビとは、「女子アナコスプレ」が自覚的にできている人(まなみ)が人気者になるわかりやすい世界であり、「ほんとに幸せな女の子なら、テレビには出て行かない。女子アナって自分と折り合いがつかない人たちの集団なのかな」と見抜く。渦中にあるアリサはまだそのことを認められないのだが。また、この小説でほっとできる関係は、滝野と金井の信頼関係のみだ。
 本当に怖い小説だが、読みだすと最後まで止められず一気に読むほかない、勢いのある筆致だ。ブスと気づく必要もない業界(弁護士)だから安全、良かった、とお気楽に落ちをつけては不謹慎と思わせる凄みがある。しかし、自分を大切に!自分の物差しをバカな男の物差しにするな!などというのも虚しいお説教だろう。ううう、救いがない。登場人物たちのその後が気になる。続刊がありうるだろうか。救いをいれてほしいが、いや多分さらに容赦のない恐ろしい展開になる予感もある。(良)
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