判例 女友だち 映画ウォーキング 情報BOX わがまま読書 リンク おたより欄
わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
柳原恵『<化外>のフェミニズム―岩手・麗ら舎読書会の<おなご>たち』ドメス出版 2018年

 著者からはじめて出版する本の書名が「けがいのフェミニズム」と聞いたとき、「けがい」なんて知らない言葉を使うのは得策ではないと疑問を呈した。しかし、本書を読み始めてすぐになぜ「化外」という言葉にこだわったのかが分かった。著者もこの言葉に出会ったのは10年ほど前のこと。インタビューの相手石川純子から教わっている。東北地方は昔から国家権力の「外」にある。しかも女性であり農民である。二重にも三重も疎外された人間であると自らを位置づけている。しかしそこには中央とは違う、文化政治を独占してきた男とは違う思いがあるという自負の念がある。著者自身も岩手で育った女性だからこの言葉は忘れられないものになり、都会の欧米型フェミニズムと対峙する軸になったに違いない。
 世界的な盛り上がりを見せた第二次フェミニズムが華やかだった1970年半ばころ、(国際婦人年)などは「遠くで鳴っている鐘のようにしか聞こえません」という言葉を聞いたことがあり、一体あれは誰の言葉だっただろうとずっと気になっていた。この静かなとがった発言をしたのが盛岡の一条ふみだったこと本書ではじめて知った。40年来の謎が解けた喜びで、A5判300ページの重たい本も意外にサクサクと読み進められた。
 本書は博士論文をベースにしているのでかなり難解なのではないかと恐れていたのだか、それがそう感じなかったのは、たぶん大きく言って二つの理由がある。1つ目は著者自身が岩手の麗ら舎読書会(小原麗子主宰)に自ら参加して著者から見れば祖母の世代の人々と10年近く交流してきたという経験に基づいているせいか、単なる研究対象ではなく、もっと個人的な親しい感情が行間に現れていることである。もう一つは、封建的で旧弊で遅れているとことごとくにいわれる東北に生きる女性の思想・活動を日本のフェミニズムの思想史的・運動史的流れの中に位置づけたいという岩手出身の著者の熱い思いが感じられるからである。とにかく『上からの目線』の研究書でないことに好感が持てる。
 中でも興味深いのは、「千三忌から見る<おなご>たちと戦争」の章である。千三とは戦没農民戦士・高橋千三のことであり、麗ら舎読書会の主な活動の一つが千三とその母セキを毎年悼むなかで小原たちがどのように戦争と向き合い、女性と戦争の関係を問い直したかが描かれる。執念深いとも思えるような千三忌には、自己主張しないで現状を耐え忍んだことで、戦争を支えた、女性たちの戦争責任を問い、女性たちの加害者性を問う小原の意識が働いているのだという。しかし、小原はあえてその意図を明らかにしないことによって、墓参やそのあとの講演や話し合いを通して、参加者がめいめい戦争との距離を測り、戦争と女性のかかわりに真摯に向き合うのだと著者は受け止めている。
 「<化外>に生きる<おなご>たちは、いわば地域女性知識人とも呼ぶべき立ち位置にあり、<中央>の文化や知の紹介者、仲介役としての役槍を果たしている。」と結んでいるが、もちろん単なる紹介者、仲介役だけでなく、それに拮抗するもう一つの価値観を提示しているのが、東北の「おなご」たちである。若い研究者の意気込みがストレートに感じられ気持ちが晴れていくような気分を味わった。(巳)
Copyright(C) 2001 GAL. All Rights Reserved.
 
TOP BACK