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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
ミランダ・ジュライ著 岸本佐知子訳『あなたを選んでくれるもの』新潮社 2015年

 映画の脚本に行き詰ったミランダ・ジュライは、フリーペーパーをじっくり眺める。そして、そこに売買広告を出す人々を訪ね、話を聴いてみることにする。逃避以外何ものでもない行動。
 勇気をふりしぼって電話し、たいていの人には断られる。たまにOKと言ってくれた人たちのもとに、カメラマンらアシスタントを伴ってインタビューをする。出会った人は、Lサイズの革ジャンを売り出し、性転換を待ち望む男性、リハビリ科の主任であり、23年間一度も欠勤したことがないことを誇りにしている、インドの衣装を売り出す女性、飼っているオタマジャクシを売り出す、特殊教育のクラスにいる男の子、見知らぬ人々の写真アルバムを売り出す女性…etc.。それぞれの同居人たちの姿も垣間見られる。
 裏表紙には「アメリカの片隅で同じ時代を生きる、ひとりひとりの、忘れがたい輝き」とある。何やら「感動の出会い」ネタが詰め込まれた本のように思える。しかし、執筆に行き詰ったミランダが外に出て解放感を味わうのは一瞬、売り手に会えば会うほど、寂寥感、閉塞感を抱いていくかのよう。執筆も一向に進まない。映画化の情勢も厳しさを増していく。景気が悪くなり、スポンサーが「ナタリー・ポートマンが主役でなければお金は出せない」などと言い出す、など…。ミランダはスポンサーとの「お行儀のいい話し合い」を終えて会議室を出ながら、素っ裸でお腹に黒マジックで「完璧なメッセージ」を書いて戻ってきてやろうじゃないのとヤケになって思う。しかし、スポンサーの「理路整然とした、隙のない冷たさ」に対抗できる「完璧なメッセージ」とはいったい何かわからない。そこで服を脱ぐのはやめて、スポンサーとは違い無条件でインタビューに応じてくれる人の家を回り続ける。でも、会う人たちの「無防備さ、昔ふうの効率の悪さ」にも疲れる。「何かをクリック」することを知らない人たち…貧しい人、貧しいというより寂しい人、様々だが「何かをググる」ことをしないという共通点がある人たちに会ってぽつりぽつりと話を聴いては、ミランダはいたたまれなくなって話を切り上げたくなる。断れずもらうほかなかったフルーツサラダのボウルをガソリンスタンドのゴミ箱に捨てたりする。そして「二度と会わないだろう」とも思う。いやらしい優越感がかき立てられてしまうこともある。それをかき消すより仕方ない、とミランダは思う。
 読みながら、ポール・オースターによる「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」(柴田元幸訳、新潮文庫)を思い出す。あの本は、見事だった。ポール・オースターがラジオ番組で募った「ふつうの人たち」によるストーリーを集めたものということだったが、いずれも書く気満々、書く能力もある人たちが、人に聞かせたいと思って書いたもの、それもポール・オースターが選んだ(手も入れたのかも)もので、ほろりと感動させたり、くすっと笑わせたりする、巧みなものばかりだった。時代が変わって、アメリカが混迷しているということなのか。または、アメリカの本当の「ふつうの人たち」とは、人に聞かせるに足るストーリーがないものなのだろうか、へんちくりんなこだわりを持っている上ミランダにも読者にもどうしてそんなこだわりを持っているのか、共感させるようなストーリーを話せないものなのかもしれない。
 ミランダは、執筆についてだけでなく、30代にして老いることへの焦燥も感じている。あとの人生は、もう「小銭」でしかないのではないか、と。
 しかし、クリスマスカードの表紙部分のみ50枚を売り出していた81歳とのジョ―との最後の出会いが、転換点になる。犬や猫たちの墓、買い物を代行してくれる未亡人たち、そして何度も口にされた彼自身の死。死が充満しているからこそ、何もかもが切実に輝いている。ミランダは急きょ脚本を書き換え、ジョ―に本人役で出演してもらう。そして、ジョ―は…。
 途中までの寂寥感には読者もいたたまれなくなるが、岸本佐知子が「訳者あとがき」で書くように、ミランダが「最後に時間と和解し、時とともに朽ちていく体の中で生き、愛し、老いていくことを受け入れる」ことはやはり感動的であり、涙する。ミランダが主演し、ジョーが出演する映画『ザ・フューチャー』も是非観たい。 (良)
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