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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
『来し方行く先、来し方行く末』檜山智子 文芸社 2003年

 <15歳の「戦後・時代小説」>
 この小説の作家について何の予備知識もなしに読んだら、手馴れた作家によるなかなか上手にできた作品と誰もが思うだろう。花にかかわらせて4組の男女の情愛を語る語り口は淡々としていて過剰な思い入れもなくて、読み手はなんの抵抗もなく小説の世界へ入っていける。「貌佳花(かきつばたの別名で「かおよぐさ」と訓むそうだ)」など古風な花名をタイトルにした章構成も粋だし、それぞれの物語の途中で語り手を女の視点に替えたことも成功している。一言でいって、掌編小説の趣きながら大変巧みなのである。
 帯によると作者はこの作品を書いたときはなんと15歳であった。少年・少女期といってよい世代からの作家の登場は最近そう珍しいことではないから驚かないが、この作品の特異さは「若さ」という印象がまったくないことにある。過剰な思い入れとか自己陶酔とかあるいはおたく的な閉塞性とかと全く無縁で、むしろこういったほうがよいのかもしれない。この15歳の作者は、通常言われる「若さ」を極めて意識的に作品世界から排除しているのだ。
 この小説は、舞台を第二次大戦後の横須賀に置く「戦後」小説であるが、読後の印象は、江戸や明治を舞台とした人情世界を描く時代小説に近い。4組の男女の情愛は古典的で、いってみれば市井小説の常套的な物語手法によっている。脱走兵と小料理屋の女の心中も、叔母と昔の男の情愛も、好きな男のために米兵の銃弾に倒れる女の哀歌も、元特攻復員兵と語り手である戦災孤児の女性との愛情も、ひとつの型といってよい。
 だからつまらないといっているのでない。逆に、この大変若く聡明な作者は型による作品であることを熟知していて、むしろそこに惹かれているのである。いつの時代でも底流として流れている男女の哀しい情愛、生きるのに追われながらも情によってつながる男と女。こういう世界を、あざとい「現代」の表層と対峙する世界として選んでいるわけだ。そしてその選択が、15歳の小説で成功しているのが驚きなのである。
 この若い女性作家がこの手法で描き続けるのはそう易しいことではない。なぜなら、常套的な型によりながら、より独自の物語世界を生み出していかなければならないからである。しかし、この作者にはそれを追求する力量がありそうだ。花にかかわらせた構想力、視点を替える巧みさ、平易な文に情を描く力、そして、なによりもこの作品は映像的だ。それぞれの場面は登場人物の表情を読み手に浮かび上がらせる。抑制した筆致がその喚起力をもっている。それがこの若い作家の文体の個性であり特質のように思える。
 最後に、「戦後」を実際に生きた人間としての感想。この世代にとって、「戦後」は江戸や明治と同じ「歴史」なのだ。「戦後」も時代小説となったわけだ。(澤井洋紀)

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