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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
ライアン・フランク・ボーム著 柴田元幸訳『オズの魔法使い』角川文庫 2013年

 子どものときに、絵本を読み、映画(ジュディ・ガーランド主演)を観て、知った気になっていたが実は読んだことがなかった本著、敬愛する柴田元幸先生の翻訳と知り、読んだら、まあなんて奇妙で面白いお話!!
 大竜巻でオズの国に連れてこられてしまったドロシーは、おばさんとおじさんのいるカンザスに帰りたい。一貫して強く願っているが、冒頭のおばさんとおじさんとの生活が特に愛情豊かだったり楽しそうでもない。不思議なことが次々起こるオズの国の方が断然面白そうじゃないか!このまま暮したらいいではないか!と読者が首をひねろうとも、ドロシーはとにかく帰りたい。そういえば、この原著が出た1900年はアメリカでも近代家族幻想が強かったはずなのに、カンザスでドロシーと生活しているのは、お父さんお母さんでなくおじさんおばさんであるのも、どうして?それやこれや、何の説明もなく話は進んでいく。
 かかしは脳味噌がないから何も考えられないと言っているのに次から次へと賢いことを考え出す。が、ドロシーなど登場人物はだれ一人そこにツッコミをいれない。ブリキの木こりも心臓・心がないと気にしているが、とてもとても優しい。弱虫を嘆くライオンも、勇敢に仲間を守る。が、だれ一人ツッコミをいれないまま、かかしは脳味噌を、ブリキの木こりは心臓・心を、ライオンは勇気を求めて、次々直面する苦難に迷いなく立ち向かい解決していく。なんかズレていないかそれ!とツッコミどころ満載である。
 その他、随所に意図しているのか意図していないのか(たぶん後者?)、トボけたユーモアが溢れている。ドロシーは怖いからと西の国の魔女の命令どおりに掃除に精を出していたはずなのに、魔女から銀の靴を取られたらキレてバケツの水を浴びせる(怖がってたんじゃなかったっけ?)、そして魔女を(偶然)退治してしまう…。
 かかしやらブリキの木こりやら、不思議な登場人物が乱れるなか、カンザスからついてきた(というかこやつのせいでドロシーは竜巻に巻き込まれてしまった)子犬のトトだけは、言葉をしゃべらないなど、リアルな存在感があるのも、逆に不思議。これはどういう意図なのか?よくわからないけれど、ひたすら面白い。
 訳者解説にあるように(イギリス人芸術家グレアム・ロールの言葉という)、「ここには人生をめぐる大切な教えが隠れている。僕たちが憧れるものや、自分には欠けていると思っているものが、実は往々にして、すでに僕たちのなかにあるということ、けれどそれを発見するために僕たちはいったん旅に出なければならないということ、それをこの物語は教えているのだ」。何か退屈な教訓に聞こえるだろうか。でも、物語の細部がトボけているので、嫌味な感じは一切なく、読後に教訓がしみじみ腑に落ちる。
 逆に、オズのように、他人から崇められていてもそれが実態を伴っていないときに他者の憧れに自己を合わせて演技する苦しみ、そこから解放される喜びも、教訓か。
 登場人物たちの、困難や邪悪なものがあっても、まあ何とかなるさという楽観的な姿勢は、多くの評者に「アメリカ的」と表現されているという。なるほど。訳者が指摘するように、同じく一人の女の子が不思議の国に迷い込む話である、イギリス人ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」と比べると、確かに面白い(前者はどんどん仲良しが増える、後者は誰からも意地悪や難題をふっかけられる…)。
 久々に、「物語」をとことん楽しめた!(良)
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