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中村江里著『戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症』吉川弘文館 2018年

 ヴェトナム帰還兵たちの自殺やアルコール中毒が1970年代に社会問題化し、1980年代に「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」という診断病名が誕生した。日本でPTSDが知られるようになったのは、1995年の阪神大震災と地下鉄サリン事件が契機であるといわれる。しかし、日本でもそれよりはるか以前に身の毛もよだつほどの恐ろしい経験をして精神疾患になったと考えられる人々がいた。アジア太平洋戦争で兵士として動員された人々のその症状は、軍部内では関心を集めた。しかし、戦後、その兵士たちの病状は不可視化された。本書は、夥しい資料をたどり、旧日本軍における戦争神経症をめぐる言説のありようと戦後の不可視化の背景を探る労作である。そして、戦争が兵士の心身にもたらす傷の実相は、集団的自衛権が閣議決定され、安保関連法が成立した今、「遠い昔のこと」ではなく、実際に考えねばならない問題になってしまっている。
 第一次世界大戦期に、日本の軍隊において心理学の軍事的応用が求められるようになった。二つの流れがあり、一つは兵隊を「適材適所」に配置するための諸検査に応用するためのもの。もうひとつは、指揮統率上必要とされた「戦場心理」研究であるが、戦場における恐怖を克服するために重要であると説かれたのは、「必勝の信念の陶冶」といった精神主義の域を出ることはなかった(第T部第一章)。
 アジア太平洋戦争期以前から、軍隊における精神病が問題化された。軍隊の指揮や統率を乱す存在だからであり、病人への共感、同情からではない。そして、軍隊における精神疾患の原因は、兵士個人の脆弱性、逸脱性に帰する見方が支配的であり、それが、軍部の責任を免責し、戦後日本社会においても、過酷な戦場や軍隊における「私的制裁」がもたらす影響を広く認識することを阻む要因になったのかもしれない(第T部第二章)。
 総力戦下、身体的な戦傷病者は「白衣の勇士」「傷痍軍人」と称揚されつつ、戦時労働力として再統合も試みられた。一方、心の傷を負った傷痍軍人たちは、身体の傷に比べて戦争との因果関係を疑われ、また、「恩給願望」と目され、称揚ではなく侮蔑・警戒の対象となった(第T部第三章)。
 内地に還送された患者は全体のごく一部であり、研究対象の国府台陸軍病院に残されたデータは不十分である。しかし、乏しいデータからみても、戦争末期には破滅的な医療状況で、治療も受けられず亡くなった兵士たちの姿がうかがえ、胸が苦しい。軍医たちは、戦争神経症の原因を、暴力に満ちた戦場・兵営の状況ではなく、願望や素因のように患者個人に問題があるとみなした。トラウマを経験し症状を自分でコントロールすることが困難なPTSDについて理解のない軍医たちに「ヒステリー」と貶められた患者たちは、到底適切な治療を受けられなかったことだろうと胸が痛む(第U部第一章)。
 病床日誌の分析は生々しい。当時の精神医学では高階層の男性が神経衰弱の患者として想定されていたが、陸軍病院の神経衰弱患者の元の職業は、農業・漁業・行員・教員・製菓商・軍人と様々であった。兵役を全うできずに郷里へ帰ることが「男として」恥ずかしいことであるとして、原隊復帰で「名誉挽回」を願う患者の言葉が興味深い。兵役を全うできない、あるいは除隊後の暮らしをたてていけないことは、「男らしさ」の危機として、病んでもなお不安をかき立てられることだった(第U部第二章)。
 このような感覚は、二極の性差意識があった。それが根底にあって、日本の軍隊に限らず、近代国家が、兵士を男子に限っていたのである。すなわち、「男性=理性的/女性=感情的」、その相違から、「男子の本分=兵士/女子の本分=家庭で子どもを育てる」といった言説が所与とされていた。「ヒステリー」は「女」の病であるという見解は、「ヒステリー」を「劣る」ものとみなすこととなった。劣った「ヒステリー」への忌避感情から、日本人の「民族的優越性」を強調し、銃後の日本人女性は精神的に強く、ヒステリーもみられない、という言説もあらわれた。実際には、銃後の女性に限らず、軍隊で「ヒステリー」を煩うことになった男性患者たちがいたのに、「あってはならない」かのように、不可視化されたのである。軍隊においては、女性、さらには徴兵検査で合格基準に達しない者、「女のような男」が排除され、「男らしさ」が構築された。その行き着く先は、「男らしく」死ぬことを厭わないことの称揚である。戦争神経症になった兵隊は、「女々しく、一種異様な不快な印象」、「一人まえの人間でなくなった者の印象」を与えた、という記載が、戦時中傷痍軍人療養所に勤務していた者の回想録にあるという。「非―男」を「非―人間」に貶める強烈なミソジニーが軍隊には充満していたということが如実である(補論)。
 戦争神経症が貶められ、不可視化されたことは、戦後にも深い影響をもたらした。精神障がい者たちは、終戦直後、戦争と精神疾患の関係をほぼ否定する方針により、補償の対象から外された。高度経済成長を経た後も、なお、補償の対象からもれる精神障がい者がいた。裁定だけの問題ではなく、自ら恩給を申請せず、沈黙をし続けた人々もいる。自らが戦争被害者であるという自覚がなければ、その自覚を得るベースとなる戦争の記憶の再構築がなければ、体験を語ることは困難であり、沈黙のままに自身も周囲も長く苦しむことになった。
 アメリカでは、復員兵が人が変わったようになり、妻に暴力をふるうようになることも知られてきた。戦時中、傷痍軍人と結婚することが称揚され、その妻の献身ぶりを称える記事がみられたが、そのような「美談」は傷痍軍人、さらには妻の困難はそぎ落とされていた。日本でも軍隊から帰還した精神病患者が妻に暴力をふるったことが観察された事例もあるが、そもそも調査がなされておらず、そのような影響について真摯に検証が果たされてきたとはいえない。「美談」、語るに値することが予め決められた状況で、現実の苛酷な経験をした被害者たちが沈黙を余儀なくされていたことに愕然とする(第U部第三章、第四章)。
 戦争を可能にする「男らしさ」、暴力を称揚する価値観、ジェンダー規範、精神疾患への偏見、軍医が恩給策定も担う等の上下関係などが入り組んだ社会の中で、「心の傷」を負った個人が、そもそもその自覚を避けようとし、表出もせず(身体症状は、恐怖を言語化することがはばかられた社会においての彼らの言葉だったのではないかとの著者の洞察に同意する)、さらに弱い妻などへ暴力をふるった。研究書でありながら、戦争が個人個人をいかに大切にしないか、その深刻な影響がいかにかえりみられないかをまざまさと実感させられ、震撼とする。今まで聞き取られてこなかった、戦争で尊厳を傷つけられた人々の姿を浮かび上がらせる、貴重な成果である。(良)
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