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渋谷秀樹著『憲法への招待 新版』岩波新書 2014年

 「改憲」という言葉が頻繁に新聞に登場する。「護憲」の集会への講演を地方自治体が取りやめるといった事態も散見される。中学生のころ「お気に入り」の条文を暗記していたほど憲法が大好きな私としては、日々憲法のことが気になって仕方がない日々である。渋谷教授が「はじめに」で記すように、憲法を意識しないで済むのが、憲法がうまく機能しているあかしであるというのに。
 日本国憲法は、立憲主義に基づいてつくられている(という当然のことをまず声を大にして言わなければならない情勢であるところが悲しい)。立憲主義は、「個人の尊重」を一番大切にしている。13条が端的に「すべて国民は、個人として尊重される」と掲げる。
 そして、戦争の禁止は、立憲主義の思想の到達点である。戦争は大規模に人間の尊厳を奪う。日本国憲法は、この国のみならず、地球規模の視点から戦争の禁止を規定する。「個人」より「全体」に価値を置いた戦前の大日本帝国憲法下、「全体」の「大義」のもと、多くの人命が損なわれたことは、忘れるべきではない。
 日本国憲法では、統治のシステムも、個人の尊重という立憲主義の目標を組み込むための組織原理にのっとって定められている。その組織原理の中心にあるのが、「法の支配の原理」「権力分立主義」「民主主義」。法の支配の原理は、政治の担当者が優れていようといまいと、誤りをおかす可能性があることから、その行動を憲法下に置くというもの。権力分立主義は、互いにチェックし合ってその権力を濫用させないというもの。民主主義は主権者(国民)が選挙その他の行動を通してその思いを政策作りに反映させるというもの。
 本著は、話題になった政治や社会の問題を取り上げながら、憲法に書き込まれた基本的な思想と論理を明らかにしていく。
 幾つか覚書として書き留めたい。
 日本国憲法の人権の根拠はなにか。たとえばアメリカの「独立宣言」は、「すべての人は平等に造られ、造物主によって一定の奪うことのできない権利を与えられ」とある。この造物主とはキリスト教の神であり、自然権思想に根ざしているとわかる。しかし、日本国憲法ではどうか。97条には、「造物主によって与えられた」といった文言はない。「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」しみじみ、何度も読んでは感銘を受ける条文だ。自民党の改憲草案にはこの条文がザックリ削除されているのを読んで、慄く。渋谷教授が指摘する通り、この条文は、歴史を現実に生きた人類の悲惨な経験こそが、人権を保障する根拠であると語っているのだとしたら、この条文の削除は、基本的人権を保障しない政府の行為によって人間の尊い命が失われた過去の経験を軽視し、そのような政府の行為の復活への志向を示唆するのではないか。
 国民国家においてはいずれも、内部に複雑な対立や差異を抱え込んだ人々が、一体感のあるひとつの「国民」にまとめあげることが要請される。近代立憲主義の憲法は、国民国家の憲法であるから、「国民」という枠内から容易には抜け出すことはできないとの渋谷教授の指摘に、「やはりそうか…」と脱力しそうになるが、「しかしながら、『国家の領域に暮らす人々=国民』とする社会契約思想の論理と、『血統主義に基づく国籍保有者=国民』とする国民国家の論理の間には、大きなへだたりがある」との指摘にも注意したい。国籍法のある規定を違憲とした最高裁の判断は、日本と「密接な結び付き」をもつ者こそ、国籍を保有すべき者であることを前提にしているが、父が日本国籍をもつという血統主義へのこだわりからは抜け出していない。立憲主義の原点にある社会契約思想の理念、国籍の定め方についての国際的な流れからすると、「国籍保有者+定住者=国民」という図式こそ正しい理解である、なおこの場合の「国民」とは法的な概念であって、その構成員にたえず同一化の圧力を及ぼす概念ではない、そして、「国民主権」にいう「国民」とは法的概念である、という渋谷教授の指摘は非常に的を得ているが、レイシズム的な言説が一部(ごく一部と思いたい)に蔓延るこの社会ではラディカルとさえ思えるのが哀しい。
 環境権などを盛り込むために、改憲が必要だ…などという見解もある(もっとも、そういう政党が原発再稼働に前のめりだったりするので、私には何が何だかわからない)。しかし、新しい人権を保障するために、いちいち改憲したら、いたちごっこになる。そもそも新しい権利は、社会の多数者から抑圧されている少数者にとってこそ必要なもの。圧倒的多数の人々にとっては、反対か、せいぜい無関心。となると、改憲により新しい人権を保障することは難しい。個別の人権規定の条文を解釈しなおすことで、新しい状況に対応するアプローチが最も有力な方法である。たとえば、憲法21条の表現の自由から、知る権利、さらには、報道の自由、取材の自由が保障されていると解釈されている。憲法25条1項の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障する憲法25条1項、さらにより快適な文化環境・生活環境の構築に取り組む義務を政府に課した同条2項により、環境権が保障されるととらえられうる。
 情報公開法制は、知る権利をベースとして構築し直され、プライバシーの権利保護など真にやむを得ない利益が明確に存在する場合を除いて、原則公開を徹底させるものへ進展してきた。このような流れに逆行する特定秘密保護法に、渋谷教授は強く懸念を表明する。第1に、原則公開例外秘密公開という政府情報のあり方の原則例外を逆転させてしまうこと、第2に、特定秘密の内容があいまいで、情報が恣意的に特定秘密にされる可能性があること、第3に、報道機関の取材活動を委縮させて国民の政治的判断に必要な情報が秘匿されるおそれがあること、第4に、公務員のプライバシーの権利を侵害すること。民主主義の基盤を掘り崩し、監視社会を築き、真理を追求する科学的精神を萎縮させようとする毒素を隠し持った法律だ、という指摘が、杞憂に終わってほしい…と無力につぶやいている場合ではないと焦る。
 私が弁護団の一員としてその違憲性等を争う民法750条(夫婦同姓)についても、言及がされている。同条は、夫又は妻の氏のどちらを称してもいいことにはなっているが、男性と女性に社会的不平等があるときに、法律が「中立的」態度をとれば、その不平等を容認することになってしまう。「氏名は、個人の人格を尊重するものなので、夫婦別姓という選択肢を設けることこそ、個人の尊重という憲法の基本的理念に沿うのではないでしょうか」(86頁)との指摘は、弁護団としても主張してきたところであり、心強い。
 教育には、個人的機能(人格形成)、社会的機能(円滑に世代交代していくために先人の知恵と技能を伝承)、国家的機能(国民としての一体感の醸成と政府に対する忠誠心の獲得)がある。旧教育基本法が「自主的精神に充ちた」国民の育成を目標としたのは、明治憲法下で強調された国家的機能の失敗への反省に立ってのことであった。ところが、「日の丸・君が代」を教育現場で義務付けることに熱心な日本政府の方針は、教育の国家的機能の再生を目指しているということができる、という指摘にも、注意したい。
 内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝は、政教分離の原則に反すると言わざるを得ないし、平和主義にも抵触する。
 その他多数の政治的社会的問題が憲法からみてどのようにとらえるべきかが分析されていて、非常に勉強になる。ただひとつ性表現の規制の根拠のひとつとして、「女性差別を助長する」という「フェミニズムの主張」があるが、性表現は女性を蔑むものばかりでないし、仮にそうであっても因果関係は不明である、表現物から受け取るメッセージは受け手それぞれの感受性の問題、わいせつ的表現は被害者が誰か極めてあいまいで、「せいぜいそれを読みたくない、見たくない人の情報受領拒否権を保護法益とするほかない」という手短な説明には、強姦や虐待をテーマにし、実際の女性や子どもが利用されている中で、もう少し悩んでいただけないものか、と疑問を抱いた。それでは、ヘイトスピーチにも冷淡なのかと思ったが、この点は「その対象となる人を具体的には特定はできないものの、その属性をもつ人のグループ自体は限定されて」いるとし、本来は思想の自由市場を信頼すべきとしながらも、蔓延している現状から、法的規制も考えるべき時期にきているかもしれません」と若干法規制に理解を示してくださっている。
 国家は領土・人・統治権からなる。守るべきは、当然のことながら、人である(と渋谷教授は書いてくださるが、政治家のどれほどがそのことを当然視してくれているのだろうか…)。かつて自衛の名のもとに軍備を増強し、東アジアに侵略戦争を行い、その地に住む人々に甚大な被害を与え、自国民にも悲惨な被害をもたらした失政を原点にした日本国憲法は、非武装によって平和を貫徹することを刻み込んでいる。平和主義の原則は根本規範であって改正不能だとの渋谷教授の見解にも、心強く思いつつ、そのことが公然と軽視される情勢に不安を駆られずにはいられない。
 後書きには産婆として自ら最後に孫である教授を取り上げてくれた祖母が逝ってから40年目の日に、「美しい日本の平和と自由が永遠に続くことを祈って」とある。この場合の「美しい日本」とは安倍首相の「美しい国」という情緒的なものとは違う、近代立憲主義の到達点であるともいうべき日本国憲法を掲げ、さらに祖母その他大切なひとたちがそれぞれの人生を充実して全うする、そんな国のことだろう。具体的な私たちひとりひとりとは離れた、抽象的な「秩序」(かつての国体のような)などのことではなく。私たちが、日本国憲法をまず熟読し、個人の尊重、平和や自由が保障されることが必要だと理解する、そんな手がかりになる本である。そのような当然なことが軽視されているからこそ熱烈に勧めたくなる現時点、恐ろしい時代に入っているような気がしてならない。(良)
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