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阿古真理著『小林カツ代と栗原はるみ』新潮新書 2015年

 目下、小林カツ代マイブーム再燃中である。小林カツ代著『小林カツ代のお料理入門』で、おなじみのものを美味しく、それも手軽に作るコツをいきいきとわかりやすく伝えてくれる文章力(なんと本も読まない、それまで料理にも今いち積極的でなかったわが中2男子が本著を読んだとたんにあれこれ作り出したのだ!なんて偉大な小林カツ代!)も、ありがちな価値観から驚くほど自由なところも、感嘆した。ありがちな価値観というのは、「じゃが芋を茹でるときは丸のまま」といった料理の固定観念のみならず、「料理は主婦の仕事」「夫婦と未成熟の子どもからなる家族こそ普遍的な家族像」「孤食は寂しい」といった性別役割分業や家族観、女性の生き方にかかわる固定観念も含む。
 それに比べて、「主人や子どもたちに美味しいものを食べてもらいたい」、「私は一主婦に充足しています」といった風な栗原はるみには、「なに、こんなに売れまくってどんだけビジネスパースン!ってのにいつまでそんな無理やりなイメージを主張するわけっ」という反発を感じてしまう。著者は「嫌味になりそうなところを嫌味にならない」と評するが、私は「嫌味」を感じていた。以前は「家族に食べさせてあげたい」アピールも若干はあったが、今ではひたすら素材本来の味をいかにシンプルに引き出し、凛とした美しさまで感じる料理を作り出していくかをとことん究める料理の求道者の観がある有元葉子もずっとフォローしている。どんなライフスタイルを選択しても結構だが、枠に留まっておらず無理があるのに「主婦で充足しています!(^^)!」と言い続ける料理家には素朴に「偽善だ」と反発を感じてしまうのだ。
 というわけで、小林カツ代(ないし有元葉子)と栗原はるみの比較は私もいずれしてみたい、とずっと考えていた。と、『うちのご飯の60年 祖母・母・娘の食卓』『昭和の洋食 平成のカフェ飯 家庭料理の80年』『昭和育ちのおいしい記憶』で食という切り口から家族のありかたや女性のライフスタイルの変化を記述し現代史を描き出す手腕に感嘆していた著者がなんとその名も『小林カツ代と栗原はるみ』なる本を出したとなれば、期待がいやましに。早速入手した。
 小林や栗原のみならず昭和・平成の多数の料理研究家が取り上げられ、その軌跡が凝縮されて次々と紹介されるほか(それでもまだ、「この人がいない!」等と思い続けてしまう、おびただしい数の料理研究家が活躍している時代、新書のボリュームに収めるには多数切り捨てるのもいたしかたないとわかっていても、ひいきの料理研究家が多々いるので)、社会(その中で生きる女性たちの生き方)の変化が変わらず巧みに綴られる。「定点観測」としてビーフシチューを取り上げ、それぞれのレシピから料理研究家の個性、そしてその背景にある社会の変化(本格的な西洋の料理観、食文化を取り入れなければという意気込みが伝わる江上トミ→一言の言い訳もなく市販の缶詰のドミグラスソースを投入する小林カツ代・多少手間を省いているがすべて手作りするケンタロウ(母カツ代は本当はこのようなシチューをつくりたかったのではないか、手をかけた料理がメディアに求められていなかった時代だったがゆえに考案したのが自分のレシピだったのではないか、という著者の指摘は卓見だ)→固形スープやとんかつソースなど市販加工品をどんどんいれて煮込む栗原はるみetc.)を浮かび上がらせる。
 「料理の鉄人」で陳健一に勝った小林は、製作者側が「主婦の代表」とつけたかったキャッチフレーズを断固拒否した。小林は後にインタビューで「『主婦』ということで私のステイタスをあげようとしているなら、主婦でない人にも主婦にも失礼ではないか。まして、この番組は、プロとプロの戦いだから面白いのであって、『鉄人』にも失礼じゃないか」と語ったという。料理研究家は、主婦とは違う。家庭料理を教えるプロ、という自負。これに対して、栗原は自らを主婦と言い続けた。前述のようにその点に私は反発を感じるが、著者は評価する。家族への愛を持続させるのは意思である。自然なことではない。長年「カリスマ主婦」であり続ける栗原には、相手を思いやり、こまめに自分の気持ちを伝え相手を受け入れる、その努力を続けてきた強い意思を感じる、と著者は評価する。そして、息子の栗原心平が跡つぎを表明しているのも、「料理も二世時代?」とクールにみてしまう私(「小林」という姓をとって「ケンタロウ」と名乗るようになったケンタロウに対しては別)に比べて、その点をも「母の仕事も、母としての愛情も確かなものだった」との「証明」であるという著者のまなざしはどこまでも優しい。ふむ…。ナナメに見過ぎていた自分を反省しないでもない。
 栗原以外にも、著者は優しい。女たちが手抜きをしたり、市販品を使ったりすることにも、仕事に育児に奮戦してきた女たちの頑張りのあらわれだと受けとめる。若干厳しいコメントをするのは、以前の本と同様、そんな女たちの「手抜き」に首を振ってみせ、嘆いてみせる言説に対してのみである(『家族の勝手でしょ!』等)。
 なるほどなるほど…(なるほど栗原は小林が起こした家庭料理の革命を完成させた、レシピの民主化を達成したといいうるか、etc.)と読みながら、しかし私としては、もっと「毒」がほしい、料理研究家を評価するばかりでなく、毒舌というスパイスも若干はほしい、と今回は思ってしまった。(良)
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