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上野千鶴子『上野千鶴子の選憲論』集英社新書 2014年

 憲法学者でもない上野千鶴子教授が憲法を語る。自身、「越権行為のような気もします」という。しかし、上野も、主権者のひとり。歴史的賞味期限が過ぎた、という論者もいるが、本当にそうか、点検してもよい時期だ、という。渋谷秀樹教授が『憲法への招待 新版』で、谷口真由美教授が『日本国憲法 大阪おばちゃん語訳』で示唆するように、憲法は空気のようなもので、特に問題ないときは意識されないはずなのに、憲法の議論が展開され、関連本が売れているという事態自体が、「エライ世の中」(当然のことながら谷口さんの表現)になったということだろう。
 しかし、上野は、本著で、「憲法論議は、起きないより起きるほうがずっとよいのです」とポジティブだ。打たれたら打ち返す、いや打たれる前にこっちから打って出る、そんな言論バトルをサバイバルしてきた、タフなフェミニズム研究者ならではの力強さを感じる。たとえ結果が変わらなくても、何度でも選びなおすことでむしろ、私たちの憲法だ、と納得するのだから、と。改憲論に対して、護憲論がたんなる「現状維持」、「何もしない」でいることで、憲法の空洞化へ加担しているかもしれない、ともいう。これが議論を続けよう、ということなら、谷口がいう「改憲、護憲という前に、知憲でっせ」ということなら理解できるのだが、それを越えて国民投票を、ということにはまだ膝を打つのをためらう。
 国民主権にいう国民とは、今ココの有権者に限らない。木村草太准教授が『テレビが伝えない憲法の話』(PHP新書、2014年)で、国民主権にいう国民=「有権者の多数決」という理解は、「あまりに素朴すぎる」、国家というのは「数世代にわたり継続する団体」であるから、「主権を担うべき「国民」には、現役世代の有権者だけでなく、未成年者や生まれていない将来世代の国民までもが含まれていると理解すべきだろう」と言っていたことを想起する。今ココの有権者の多数決によって奪ってはならない人権保障の各規定、さらには独裁を防ぎ個人の尊重を確かなものとする統治システムの各規定は、易々と「国民の総意」に丸投げすることはできない。日本国憲法の憲法改正の厳格な手続は、「国民の総意」(有権者の多数派)への丸投げにより独裁を誕生させ人権保障が形骸化することになった歴史を踏まえているものだ。もちろん、上野も、この厳格な改正手続を前提とし、改憲や選憲を唱えるなら、この厳格な手続のハードルを正々堂々越すべきだ、としている。しかし、「もし愚かな選択をしたら、それも主権者の責任だ」という文章には、戸惑う。「国民」が将来世代まで入るとしたら、どんどん議論して国民投票をして、それで愚かなことになっても仕方ない、試行錯誤になるのも学び、というのは、あまりに楽観的だし、将来世代への影響が軽視されているような気がしてならない。熟慮のための情報提供と議論を呼びかけるにとどめたいところだ。
 と、うーむ?と首を傾げるところはあるが、自民党草案への歯に衣着せぬ批判はさすがである。前文を読んだだけでも、自民党草案が守りたいものが、「伝統と文化に恵まれた美しい国において、国家と家族の価値を守りたいという懐メロ」、と看破する。現行の憲法が平和主義、国民主権、基本的人権の三原則を打ち立てているというのと、対照的である。また自民党草案9条の2に「公の秩序を維持し」とあるのが不穏である、治安維持のためには、軍隊が自国民に銃を向けてもよいということのようだ。また9条の3では国防軍が守るものにつき、「国民を守る」とはない、「領土・領海・領空を保全」するために、国民は「協力」することになっている。「領土・領海・領空」を守るために国民は犠牲にさせられる。敗戦のとき、「国体の護持」という至上命令ため、たくさんの国民が犠牲になった。その反省に立つ個人の尊重を根本的な価値とする日本国憲法とはあまりに程遠い。
 現行憲法が「公共の福祉」とするところを、自民党草案は「公益及び公の秩序」と置き換えている。「公共の福祉」は人びとにとって望ましい状態を指すが、「公の秩序」とは「国家統制」を意味すると解釈できる。
 自民党草案は、24条に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け会わなければならない」という妙な一項を追加している。家族が社会の「自然な単位」かどうかには疑いがある。家族は多様化しているのに、「標準世帯」を「基礎単位」にし続けていることのひずみが生じているというのに、何を言っているのか。福祉の家族依存を強め、社会保障を後退させる効果があるのではないかと危機感が強まる。
 97条は、憲法好きの私にとって、ベストスリーを争う条文だ。
  97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類
 の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権
 利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、
 侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
 自民党草案ではこの条文がすっぽり抜け落ちている。上野が指摘する通り、自民党の『Q&A』 に「現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基いて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要がある」とあることから、自民党草案が、天賦人権説を否定し、人権は憲法によって保障されたり、場合によっては制約されたりすることもある、ということだと理解できる。「人権」の重大な変更に慄く。
 自民党草案には、憲法尊重義務を負う主体から天皇又は摂政が抜け、代わりに国民が入る。元首たる天皇が憲法を国民に対して発したということになれば、憲法は最高権力者が国民を従わせるものとなる。憲法理解の「180度のどんでん返し」、「まったくオドロキ」である。
 憲法論議は百出したほうがいい、という上野ほど楽観的にはなれないが、実際、百出している現状で、本著は、自民党草案の問題点を知り、それとは対照的なものとして現行憲法の意義も改めて知り、百出している憲法論議に振り回されず、判断できるようになっていく手がかりのひとつとなるだろう。(良)
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