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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
4冊の本(福島みずほ)

金沢市に行った時に水野スウさんから、「たいわ けんぽう BOOK」(教文館) をいただいた。以前「わたしとあなたの・けんぽうBOOK」という小さな本をいただいた。
水野スウさんの活動は、松井久子監督の「不思議なクニの憲法」という映画の中で描かれている。「紅茶の時間」という名前で行われている憲法を考える素敵な集まりである。「たいわ けんぽうBOOK」はそれの第二弾の本である。大事なことや最新の情報がとてもわかりやすく、とても深く、書かれている。イラストが可愛らしく、ほっとした気分になる。最新の情報が入っているのでぜひ読んでください。
「たいわ けんぽう BOOK」でとても印象に残っていることがある。

「平らに話すことが、対話なのだし、平らに話すことが=平話が、平和につながっていくのだ、と今の私は思っています。」という部分である。

「説教したがる男たち」(レベッカ・ソルニット著)を読んだことがある。レベッカさんが、あるパーティーに行くと、男性に話をされた。それはレベッカさんが最近書いた本のことであり、その男性はその中身を滔々と彼女に説明をした。最後に彼女は、「その本を書いたのは私です」と述べた。そこからマンスプレイニングという造語ができた。はじめにこの逸話を紹介してくれたのは三浦まりさんである。

男性がわたしに説明をする。女性の方が圧倒的に知識がなく経験もなく、それを教えるのが自分の役割だと等々と説明をするのである。

平らな形で、コミュニケーションをするのではなく、マンスプレイニングっていうことは、私たちの日常生活でも発生しているように思う。そこでは会話は、お互いに発見があったり、共有があったり、違いがあったり、楽しむものであると言うものではない。お互いに刺激しあって、別のフェーズに行くことができると言うものでもない。相手も変わるけれども、自分自身が変わるのであると言う相互性がない。

マンスプレイニングに似た言葉にマウンティングがある。会話が、自分の方が偉いと言うことを示すために使われるのである。

私がフェミニストになり、夫婦別姓などを選んだのも、他者との関係で対等で自由な関係を本当に作りたいと思ってきたからである。

この「たいわ けんぽう BOOK」の中に、暉峻淑子さんの書かれた本、「対話する社会へ」(岩波新書) の紹介があった。そこで早速この「対話する社会へ」も読んでみた。 暉峻淑子さんは、対話する社会を自分の実践も含めてどう作っていくのか、対話をすると言うことの意味を本当にわかりやすく深く書いていらっしゃる。民主主義の作り方の本でもある。水野スウさんも引用されているが、「戦争・暴力の反対語は、平和ではなく対話です」と言う言葉が印象的である。「対話が続いている間は殴り合いは起こらない」と言うドイツの言葉が冒頭書かれている。

「対話は、議論して勝ち負けを決めるとか、意図的にある結論にもっていくとか、異議を許さないという話し方ではない。」

「対話とは、対等な人間関係の中での相互性がある話し方で、何度も論点を往復しているうちに、新しい視野が開け、新しい創造的な何かが生まれる。」

「個人の感情や主観を排除せず、理性も感情も含めた全人格を伴った自由な話し合い方が対話である。」
などの言葉もその通りだと思う。

子どもへの虐待やパワハラなども相手が何を考えているか尊重をするというよりも、一方的に支配し、服従させるということでしかない。DVをはじめとして女性への暴力も子どもへの暴力も対等で自由でない関係から生まれる。

威圧や脅しではなく、コミュニケーションが大事なのである。
しかし、政治や会社のなかなどで、威圧や脅しが多用されることがある。

わたしも人と話をするときに反省しきりである。
話過ぎたり、誤解を招く話し方だったかなと反省することは多い。

しかし、この「たいわ けんぽうBOOK」と「対話する社会へ」を読んで、大いに人と対話をしよう、対話から生まれるものがある、対話を楽しもうと意識的に考えるようになった。民主主義の基本は対話であり、話さなければはじまらないと。

そして、岸本聡子さんの「水道、再び公営化!欧州・水の闘いから日本が学ぶこと」(集英社新書) を読んだ。岸本聡子さんはアムステルダムを本拠地とする、政策シンクタンクNGOトランストランスナショナル研究所に所属をしている。本の著者紹介には、新自由主義や市場原理に対抗する公共政策、水道政策のリサーチ及び世界中の市民運動と自治体をつなぐコーディネートを行うとある。

2018年に国会で水道法の民営化法が大議論になった。残念ながら成立をしたが、水道を民営化するな、水道を多国籍企業に売るな、公共政策としての水政策のあり方など大議論になった。その時に、岸本聡子さんから、世界における水道の民営化の大問題、何が起きたのか、そして、世界のとりわけヨーロッパにおける水道の再公営化の動きなどを教えてもらった。大感謝である。

この本は、世界のヨーロッパの日本の動きを極めて正確にコンパクトに深く論じている本である。

その中でもとてつもなく勇気づけられているのは、資本に対抗するための「公公連携」、新自由主義国・イギリスの大転換、再公営化の起爆剤は市民運動、水から生まれた地域政党「バルセロナ・イン・コモン」、日本の地殻変動などの章である。生き生きとそれぞれの取り組みが描かれている。

この本の中で印象的な後書きがある
「私は小さな草の根の変化の積み重ねなしに、国や国際レベルの大きな変化を望む近道はないと思っている。地域から民主主義の練習と実践の運動を重ね、地域を越えて連帯することで力をつけていきたい。」

白石孝さんや瀬戸大作さんや様々な友人たちが、韓国を訪れ、韓国の地域に根ざした市民運動から学ぼうとしている。それは地域の市民の様々な取り組みが政治とつながり、政治をまさに変えているからである。それのキーワードは多分、岸本聡子さんが言うようにコモンである。

コモンから始まる、新たな民主主義と言う表現を岸本さんは紹介をしている。
コモンとは、「民主的に共有され、管理されるべき社会的な富」のことである。宇沢弘文さんは「社会的共通資本」と言った。

岸本聡子さんは書く。「水道、鉄道、公園といった社会的インフラストラクチャー、報道、教育、病院などの制度、森林、大気、ひいては地球全体の環境が、「コモン」だろう。」

岸本さんは書いている。「未来への大分岐-資本主義の終わりか、人間の終焉か?」(マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポール・メイソン、斎藤幸平編、集英社新書) と言う本の中で、政治哲学者マイケル・ハートは、水や電力と言うコモンを市民の自主管理に近づける試みが重要だと指摘していると。

コモンとは共有と言ったらいいのだろうか。
自己所有、自己責任から解放され、他者に対する物思いを大事にして、公共をどのように作っていくかと言うことである。この場合の公共とは、国家から、政府から、上から押し付けられる公共ではない。一人ひとりの思いや権利が積み重なり積分化された公共であり、どのようなコモンを作っていくかについて足元から自分たちで議論し運動していくのである。

日本には、全国各地に様々なところに、原発の立地をはねのけて作らせてこなかった場所がたくさん存在している。芦浜原発をみんなの力ではねのけた動きや、巻原発を立てさせなかった動きなどたくさんのたくさんの人々の地域に対する想いとコモンがある。巻原発を作らせなかった団結小屋を訪れて、感慨にふけったことがある。
日本の中にもたくさんのコモンがあったし、あるのである。

私物化されるべきではないみんなのもの。
そして、民主主義とは、遠いところにあるものではなく、身近なところで、現場で作っていくものである。

4冊の本を紹介したが、キーワードは、対話とコモンである。
対話をしながら、どう民主主義を私たちの「共有」を作っていくか。

当たり前だが、政治は国会や地方議会でだけ行われるものではない。
民主主義は、主権者としての権利は、選挙の時だけ行使されるものでもない。

日々の生活の中に、わたしたち一人ひとりの中に、まわりに存在をする。
おしどりマコさんが、半径5メートルの民主主義と言った。3メートルだったかもしれない。でも同じことをきっと言っているのだと思う。

難しくないし、楽しいことだ。
自由で対等な関係をできるだけ多くの人と作り、その中で対話を繰り広げていきたいものである。それなくして、民主主義はない。

そんな民主主義を作っていきたいのである。
              (福島みずほのHPより一部変更して転載)
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