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江刺昭子『樺美智子 聖少女伝説』文藝春秋 2010年

 50年前の1960年6月15日,東大4年生の樺美智子が国会構内で亡くなった。日米安保条約の改定を阻止しようとするデモ隊の一員として警官隊と衝突し,22歳の命を散らした。その死は政局を動かし,岸内閣を退陣に追い込んだ。美智子は,60年安保を象徴する聖化された存在となっていく。
 学者の父のいる家庭に生まれた美智子は,高校時代から社会の矛盾に目覚め,困窮家庭へのカンパ活動等を行ったという。東大に入学してからは,水爆反対運動等に関わり,20歳の誕生日には,家族に秘して共産党に入党。その後共産主義者同盟(ブント)に移り,全学連主流派として熱心に活動した。60年1月には,羽田空港立てこもり事件で逮捕され,父母を驚愕させる。その後も父母の心配をよそに,さらに活動に打ち込み,6月15日を迎える。「女子は危ないから抜けろ。」との命令に,美智子は,「せめてスラックスをはいた人間だけは例外にして」と頼み,隊列に加わる。国会構内は機動隊が警棒で学生をめった打ちにし頭を割り蹴り上げる等し,血だらけで気を失う学生たちで混乱する惨状となった。混乱の中,美智子は命を落とす。
 死因が圧死か扼死か,鑑定も意見が分かれた。当初報道された目撃証言も,実在しない人物のものであり,虚偽であることは明らかである。警察の違法行為によるのか,人雪崩によるのか…。語る人がどのような物語を望むのかによって,死因も変わるかのようだ。
 死だけでなく生も,語りたい人によって変わる物語である。美智子の死を悼む父母によって紡がれる物語の中では,美智子は無垢に平和運動にいそしんだ「普通の少女」である。ある人は「ジャンヌ・ダルク」と呼ぶ。美智子の政治色は無視され,聖化される。他方,ある人は,美智子を「革命の指導者」に見立てる。どちらも,美智子自身は苦笑したことであろう。
 時代背景,あるいは年齢的な限界だろうか,美智子の頑なさ,視野の狭さが気にならないではない。美智子が出費を切り詰めて購入した本は,社会主義関係のものばかりで,多様性がない。映画を楽しむ同世代の友人の生活を否定し,セツルメント運動も「理論のない実践」と切り捨てた。東大の女子学生がまだまだ小人数だった時代には当然かもしれないが,自分が人々を率いるのだという「エリート」としての気負いには,驚く。しかし,「一時間も無駄にしたくない」と運動に打ちこむ健気さには,心打たれるものがある。
 美智子が生きた時代の後,日本は大衆消費社会を迎え,安保体制も所与のものと受容されていく。冷戦が終わった今も日米安保体制の見直しが進まない今日,当時の国民的な安保反対運動は,隔世の感がある。
 この日のデモに参加した人々は,後に政財界で活躍した人も少なくない。一途でひたむきな美智子が生き延びていたら,どのような人生を送っただろうかと,思わずにはいられない。
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