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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
牟田和恵著『部長、その恋愛はセクハラです!』集英社新書 2013年

 新聞の広告で本著のタイトルと著者名をみて「!?」と驚いた。気合いを入れて読みこまねば、単純な構造(涙)の頭にはなかなかすとんと入ってこないような、難解なジェンダー論の研究書を著してきた牟田先生…あの牟田先生の著書、いかに新書といえども、タイトルが、これ!?
 すいすい読める。なるほどと唸る。私も時にはセクハラの講演など頼まれるが、お役所や弁護士会(失礼)などが出す啓発パンフレット並みの役立たずであったと反省させられる。たとえば、『広辞苑』では、セクシャルハラスメントを、「性にかかわって人間性を傷つけること。職場や学校などで、相手の意に反して、とくに女性を不快・苦痛な状態に追い込み、人間の尊厳を奪う、性的なことばや行為。性的いやがらせ」と説明する。非常に悪質な人権侵害、なるほど許されない。でも、ハラッサー(ハラスメントをする人)でも、人間の尊厳を奪おう!と思っていることはほとんどない。合意の付き合いだった、相手が嫌がっているとは思っていなかった、全く悪意はなかった…というのがほとんど。となると、「嫌がっている相手に嫌な行為をしてはいけません」とお説教しても、役には立たない…。
 本著は、ハラッサーは自分で気づかぬままにハラスメントをしているという現状認識を踏まえて、なぜその「現実」が見えないのか、セクハラと訴えられると理不尽と思い、自分はやっていないなどと主張して事態を悪化させてしまう、そんな事態をいかに防げるのか、を懇切丁寧に解説していく。
 たとえば、相手方が嫌がっているそぶりを見せなくても、仕事の立場上望んでいないのに受け入れざるを得ない状況に追い込んでいたら、セクハラ。自分はセクハラなんかしていない!と心底思っても、相手の立場に立って、事態を見つめなおそう。鈍感はセクハラの免責とはならない。自分にはたいした権力もないから従わざるを得ない立場になんて追いやっていないぞ!と思っても、立場は相対的。自他ともに認める冴えないオヤジでも、部下にとってはやはり遠慮せざるを得ないことに、敏感であれ。実際いくら鈍感なハラッサーでも、目下の若い女性ではなく、女性上司や上司の妻にであれば、太ももを触ったりしない。相手の女性を軽く見ているから、鈍感でいられるのだ。鈍感がビルトインされていないか、くれぐれも自覚するように。
 そして、「それってセクハラじゃないですか」「セクハラをやめてほしい」という声に、過剰反応しないように。逆ギレして名誉棄損の裁判だのなんだのおおごとにして、かえって事態を悪化させることのないよう、冷静で誠実な対応をすべき。このような、実に有益なアドバイスが盛りだくさんである。
 「恋愛」だったのに、「マインドコントロールを受けていた」なんて後付けで訴えられるなんてそんな馬鹿な…。恋愛とセクハラはどうして混在してしまうか、そのわかりにくさにも果敢にメスが入れられる。女性にとっても、断り切れない関係の相手の場合、暴力に屈して無理やりセックスをさせられたというよりも、「自分を好きだから強引に迫ってきた」と思うほうが心理的に楽でもある。そもそも、恋愛だったか、セクハラだったかの決定的な基準がない。関係が終わった後、ひとつひとつの経験がイヤな記憶としてよみがえってくることがある。そんなのルール違反!?いやそれらは紛れもない被害の事実である。力関係のもと、圧力があったことには間違いない。そしてそのせいで女性は職場にいられなくなるなど、失ったものも大きい。結果オーライならぬ結果アウトなのだ、と。どんな恋愛にも力関係はあると一般化して済ませることは、社会人としていかがなものか。でも職場って恋愛が始まるところだし、どうすればいいのだ?と頭を抱える人に、懇切丁寧にセクハラと受け取られることなくデートに誘う鉄則3か条まで披露される(本当に役立つ!詳しくは本著を参照)。
 そのほか、相談を受ける立場としてはどうしたらいいか、訴えられたらどうしたらいいか、等々、非常に具体的なアドバイスがてんこもり。「人権侵害はいけません」といった役に立たない抽象論は一切なし。上野千鶴子の推薦文の通り、「家庭の医学」なみの必需品、社会人は一読しておこう。
 あとがきにかえてと収められた「私のセクハラ二次被害体験記」には、著者がなぜこの本を書こうとしたか、その動機が真っ正直に書かれてある。著者を含む数名の研究者が編集委員として進めていた大きな出版事業。委員の一人が、所属組織からセクハラを問題にされ職を辞するという事態が生じた。この事態に目をつぶったまま企画を進行させて良いのか。学問の内容的にも、セクハラにはセンシティブにあらねばならないはず。ところが、関係者たちは、その男性をかばったり、傍観者を決め込んだり。著者の方が異端視され、仕事を下りることを余儀なくされた。日本有数の知性を誇るはずの人々でさえ、セクハラについて理解が乏しい。そうであれば、一般にはさらに誤解や思い込みが多々あるだろう。そうした状況を変えられるなら、被害を被っている女性たちにわずかでも役に立つ…。なるほど。短い文章に、二次被害のとても辛い経験がにじみ出ている。その経験を、糾弾や告発に転化するのではなく、ハラッサーの無知鈍感さに切り込むことで、効果的に被害や二次被害の防止に役立てようとする意欲、素晴らしい。そして、実際に効果抜群のはずだ。このタイトルも、「ジェンダー論云々」なら絶対に手を取らない人たちにも気軽に手を取ってほしいという願いのあらわれと理解できる。その願いの通り、どうぞ多くの人に読まれますように。(良)
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