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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
最相葉月著『セラピスト』新潮社 2014年

 著者がおずおずとあるきまわった心理療法の界隈について、守秘義務という傘の下にある、人と人との心の交わりと沈黙について、まとめられた本。セラピストとは医師、カウンセラーなどの治療者、クライエントとは患者や相談者のことである。
 なんだかあやしい。自分のことなどとうに知っている。うさんくさい。心理療法について、著者も、著者の出会うセラピストたちも、そう思っていたというので、ほっとする。言葉だけで解釈されていくのは、こじつけのようで違和感がある。言葉による解釈を急がない、箱庭療法、風景構成法に、最相は惹かれる。
 日本で心理療法がどのように発展し定着してきたかの経緯が、箱庭療法を日本に紹介し、圧倒的な存在感で多くのセラピストを惹きつけた故河合隼雄や、セラピスト中のセラピストといえる中井久夫、ボーンセラピスト山中康裕など、様々な人の営みを軸に、鮮明にみえてくる。
 なぜセラピストになるのか。河合隼雄の子である河合俊雄は「業が深いとしかいいようがないね―」「頭のいい人から見るとすごく辛気くさい。全然結果が出ないしね。」と言う。ただ、優秀なセラピストでもうまくいかないことがあるし、ダメなセラピストでもクライエントががんばってよくなってくれることもある、そこが面白い。自分が傷つき苦しんだ人が多いが、そういう人がクライエントのことをよくわかるとも限らない。かえってバイアスになることもある。他方、すくすく育った人がいいともいえない。相手の傷がわからないこともある。向いていなくても、プライドがあるから、なかなかやめられない人もいる。おお。これはなかなか深い言葉ではなかろうか。弁護士としても腑に落ちる。どうであれ、日々反省して努力していかなくていけない。
 クライエントが打ち明ける悩みや葛藤にどう向き合うのか。第三者への激しい憎しみや性的な葛藤をぶつけられ、時には暴力を振るわれそうになったり、抱きつかれたりする。そのようなときに傾聴がいいことなのか。何をしたらよかったのか、何をすべきでなかったのか。逐語的に記載したレジュメにより事例研究会をするのは、まさにそこを学ぶためだ。しかし、都合の悪い部分を消したり、強調したいことを残したりしてしまう場合がある、というところに、セラピストもまた人間という感じがする(力のある臨床家には見抜かれるらしい)。レジメは、クライエントの症例であるが、カウンセラーを映す鏡でもある。自己を曝け出し第三者の目を通して厳しく自分を客観視することを課せられる。羨ましいような、恐ろしいような職業だ(そんな過酷な職業なのに、低収入といった事情も紹介されている)。
 症状がなくなることが、幸福であるとは限らないという第9章が興味深い。症状が治まろうとするとき、セラピストはクライエントから遠のいていく。面接の回数も減っていく。クライエントの心に広がるのは孤独感だ。中井久夫は、回復期に注目していた。河合隼雄はある女性のクライエントから「別に治してほしくないのです」と治ることを拒否され、心理療法によって誰かを「治す」ことはできないと悟った。さすがである。最終章であるこの章では、この章は、最相自身がようやく自分の精神的な問題を書く。本著を読みながらどこか切羽詰まった空気を感じ緊張していたのは、最相の切実さを感じ取っていたからだと気づく。
 私も著書を愛読している中井久夫はやはりぬきんでた存在のようだ。大学病院でひとりの患者の10分の沈黙を待つ。患者の番号で放送で呼ぶのではなく、中井自身が診察室から患者を「〜さん」と招き入れる。しかし、10分の沈黙を待つようなそんなゆとりは今の病院にはない。箱庭療法や風景構成法も、クライエントもセラピストもどこからも邪魔されない環境で行う必要がある。最相のインタビューを受けた医師には、インタビュー中もひっきりなしにPHSが鳴る(救命医でもあるからしかたがないが)。その病院では、臨床心理士が、興味をもつ子どもがいたら実施することはあっても、継続して作っているクライエントはいない、という。
 セラピスト側だけが変化したのではない。クライエントも変化している。自我が不安定で内省する力が弱い。言葉にできないからといって、絵を描いたり箱庭をつくったりしても、心の奥深いところに触れることができない。
 対人恐怖を訴えるクライエントが減少したという。対人恐怖のクライエントが恐怖を感じるのは、親や友人など親密なひとでも全く見知らぬ他人でもなく、近所のおばさんやクラスメイトなど中間の関係の人間だった。共同体の機能が薄れてきたので、対人恐怖が減った。その代り増えているのが、引きこもりである。さらに、河合隼雄は、1970年代から80年代にかけて大流行した境界例の減少というもうひとつの変化も挙げていたという。代わって解離性障害が増加したが、これもまたあまり見かけなくなり、今世紀に入ってきてから目立つのは発達障害である。発達障害の子どもの箱庭は、自動車の隊列を作り続ける等であり、かつて多くのセラピストを惹きつけた、内面を表現した箱庭ではない。それもまた何かに代わっていく。個人の内面は、社会の傾向を反映している。セラピストは、社会の変化をいち早くとらえる仕事でもある。
 中井が猫とじゃれるなど向き合ってはいないが見守る中で風景構成法を実践する最相の繊細な心の揺らぎ、それを受けとめる中井とのやりとりを読みながら、張りつめた緊張が少しずつほどけていくような、そんな感覚をこちらも体験していくようだ。取材の終盤、様々な身体症状まででるに至った。どれほど過酷な負担であったことか。最相が自分の心身を削り取るような思いをしてまとめあげた本書は、きっと自他の苦しみにもがく読者たちに誠実に読まれることだろう。(良)
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