判例 女友だち 映画ウォーキング 情報BOX わがまま読書 リンク おたより欄
わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
『実践するフェミニズム』(牟田和恵・岩波書店・2002年)

 なーんたってこのタイトルがいい。この本が扱う「練習問題」(プラクティス)は、3つ。1つがセクシュアル・ハラスメント、2つ目が性暴力、最後に売買春とポルノである。
 セクシュアル・ハラスメントの問題が一番手応えがある。
 この著者はフェミニズム業界での「常識」をあっさりひっくり返す。たとえば、「セクハラ」という言葉について。彼女はあえてこの言葉を使いたいと主張する。なぜなら「セクハラ」という言葉にはたしかに揶揄的な意味合いがあるが、セクシュアル・ハラスメントの略語としてきちんとこの言葉を使うことを定着させなければ、揶揄的な「セクハラ」の語意をそのまま「保存」してしまうから。そして第二に、「セクシュアル・ハラスメント」のように、長くて、真面目ではあるけれど学問的であったり、法律的であったりする表現でなく、風俗的なニュアンスを伴いながらも身近で現実を表す言葉としての意味を「セクハラ」がもっているから、何よりも被害にあった女性の武器になると認定している。このあたりを読んだだけでもこの著者がいかに現実と切り結んでいこうとしているかが良くわかる。一方でセクハラ防止のための規程が性取り締まり的になる危うさについてページを費やしているが、ここも読み応えがある。
 また、「ポルノから学ぶこと」という刺激的なタイトルをもつ章の中では、「対等なセックス」とか「トータルな人格としての性」というフェミニズムたちの常套フレーズにも異議申し立てをしている。つまりそこには性愛一致主義の残滓が見られると言うのだ。そして「人格の合一」に拘泥するロマンティック・ラブの対幻想に依存しないとすれば、性幻想の源泉としてのポルノは、女性にとってもポジティブな意味を持ち、女性をエンパワーメントするものとして、再生すると主張する。おーっと驚く内容だが、飾りをつけない素直な文章なので、非常に論点が明確だ。
 フェミニストとしての著者の青春日記がコラムになっている。これがまたとても驚きである。「スリーピング・ツギャザー」はインドで一人旅をしたとき、2人の男性と部屋をシェアしながら、1月ほど旅を続けたという話。偶然出会った人である。いやー、なんと無謀なと思ってしまうけれど、そして彼女も最初は緊張したらしいが、このような警戒心が自分の檻となっているのだということに気づく。彼女のすべての出発点となっているエピソードと思われる。
 というふうに、いろいろびっくりさせられながら自分のなかの「常識」があぶり出されてくる刺激的で奥の深い本である。最近のフェミニズム関係の書物の中でイチオシ。

Copyright(C) 2001 GAL. All Rights Reserved.
 
TOP BACK