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アーサー・クラインマン他 坂川雅子訳『他者の苦しみへの責任 ソーシャルサファリングを知る』みすず書房 2011年

 戦争,内乱,飢饉,貧困,人種差別など、社会的につくられる苦しみ…social suffering。今こうしている間にも,世界各地で虐げられ,苦しむ人たちがいる。世界各地のことなど知らないとばかりに目をそらそうとしても,グローバル時代に,私たちは苦しみを否応なく知っている。私たちはその苦しみに責任がある,と突き付けるこの邦訳のタイトルは,重い。本著に収められた6編の論文は,それぞれ,私たちに,世界各地の様々な苦しみ,痛みに対応できる感受性をもち,目を逸らさず受けとめることを求めている。
 統計化,数値化が威力をもつ現代では,苦しみの実相が捨象されてしまう危険が高い。ハイチにエイズを蔓延させる社会構造(ファーマー論文)、移民が民族と国家を失うプロセス(ダニエル論文)は,苦しむ当事者の言葉を発掘しながら,客観を装う統計化ではこぼれおちてしまう苦しみの実情をリアルに浮かびあがらせる。
 クラインマンらの論文は,メディアに現れる苦しみの映像−紛争下で切り刻まれ,吹き飛ばされる体,胸をはだけた子どもの売春婦,全世界に衝撃を与え賛否両論の議論をよんだ「ハゲタカと少女」のような餓死寸前の無力な身体―は,遠隔地にいる私たちの「娯楽」「ポルノグラフィー」として流用されているとし,この苦しみの「消費」には,以下のようなもろもろの弊害があると指摘する。「未開社会より文明化されたわれわれのほうが優れている」という植民地時代の考え方にとりつかれてしまう。残虐さに私たちが麻痺してしまう。国内に存在する悲惨な状況から私たちの目をそらす。なるほどと思う反面,メディアに遠い国の苦しみが登場しない方が,良いのだろうか,私たちが苦しみから目を閉ざすことにならないだろうか,とどうも落ち着かない気持ちにさせられる。クラインマンらの論文は,本著に収録された他の論文が懸命に苦しみを記述しようとしていることをも,弊害ありと批判することになってしまわないか。クラインマンら自身,落ち着かないようだ。「流用を全否定すれば,悲惨な状況に何らかの反応をしようとする試みの一切を正当に評価し損ねることになる」。そこで,流用を妥当とするには,その動機が営利を目的としているか等を見極めようとする若干の基準を提案する。しかし,そもそも,それを作成した個々人の「動機」などわかりえないまま,映像はグローバルに流布していく。そんな時代に,作成者の「動機」を基準にするなど,あまりに牧歌的なアイディアではなかろうか。それに,作品の持つ力とは別に,「動機」で判断するというのも,不合理な道徳主義に堕ちる危険も感じる。
 クライマンらもこれが正解と思っているわけではなかろう。スーダンの飢饉と内戦の記事に添えられた「ハゲタカと少女」の写真−衣服を身につけていない,弱り果て,かがみこみ,動けない幼児のような少女,その少女の背後にはハゲタカが「獲物」として襲おうとしているかのように少女を見すえている―を撮ったケヴィン・カーターは,ピューリツアー賞を受賞した。しかし、「なぜ助けないで写真を撮ったのか」等の強い非難を受けることになった。カーターは受賞から3カ月後に自殺した。クラインマンらは,カーターを人道的な行動をとらなかったと非難することは安易だとし,彼ら報道カメラマンは出世も望めないなかで悲劇を明るみに出し,人道的活動に貢献しているとその功績をたたえる。一方で,やはり彼の「成功」は,名もない女の子の苦しみにもとづいているともいう。後者の指摘は,クライマンらが安易だと批判するカーターへ向けられた非難と同じではないのか。
 カーターは一応仕事として写真を撮っていた。営利を目的としていたといえる。報道カメラマンの誰もが一定の営利を目的としなければ,生計をたてられない。だからといって,いくばくかの営利を目的としてしかし自分自身の生命身体へのリスクを賭けながら映像を発表することを,非難し,辞めさせることによる弊害のほうが,映像の流用による弊害よりも,大きいのではないか。カーターが自殺した背景には,離婚等個人的な苦難のほか,仕事上まざまざと脳裏に焼きつくことになった映像―殺し合い,死骸,飢えた子どもたち,傷ついた子どもたち―に悩まされてきたことがあるという。報道カメラマンの苛酷さの記述から,クラインマンらが報道カメラマンに敬意を抱いていること,アンビバレンツな思いを抱いていることは明らかだ。この論文は,苦しみの流用を非難しつつも,一刀両断に非難するのも躊躇する,そんなディレンマを隠していない。
 本著は,それぞれの論文のテーマが重い上,クラインマンらの論文により論文相互間に緊張感も生まれていることもあって,読み進めていくのが,苦しい。しかし,社会的苦しみを知っていながらも,感覚を麻痺させ漫然としていることから決別するためには,必読といえるだろう。
 巻末の池澤夏樹による解説(というよりもエッセイ)にも,胸を打たれる。(良)
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