判例 女友だち 映画ウォーキング 情報BOX わがまま読書 リンク おたより欄
わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
高岡健著『発達障害は少年事件を引き起こさない 「関係の貧困」と「個人責任化」のゆくえ』明石書店 2009年

 私たちは、陰惨で重大な結果を引き起こした少年事件に遭遇し、驚愕する。そのうちに、その少年が「発達障害」であったと報道されると(そこに申し訳程度に「発達障害が事件を引き起こすものではない」趣旨のコメントが添えられていても…。それならなぜその点をあえて報道するのだろう?)、「障害」のある―「特異」な子どもがしてしまったことなのか、なるほど、と妙に納得してしまう。しかし、本書は、そのタイトルそのままに、発達障害(ないしこれまた少年事件の原因と安易に語られがちな「経済的貧困」)ではなく、「関係の貧困」こそが引き金であることを、1968年の永山則夫事件から2008年の秋葉原事件(犯行時既に成人であるが、著者は「本質は少年事件と考えるしかない」と述べる)までの主要な少年事件の背景を分析しながら、説明していく。
 家族間、学校で、居場所がなかった各事件の少年は、絶望し、「何か」へ復讐していく。社会はその少年を非難し、少年法を繰り返し「改正」し厳罰化を進める。厳罰化傾向は少年の絶望を抑制しない。悪循環を続けるこの国の少年司法への憤りを著者は隠さない。たとえば、板橋事件につき、殺された父による少年への心理的虐待を認め、少年院での処遇が望ましいとしながらも、家庭裁判所に戻さず、刑事処分を科した地裁の判決を是認した東京高等裁判所の判決につき、少年の行動の意味を理解することに失敗し、厳罰化を死守したものである等と厳しい。或いは、寝屋川市教職員殺傷事件で、大阪家庭裁判所が「遺族や被害者から理解を得るためには、公開の法廷で裁判を受けさせ、事件の背景や動機を明らかにし、自らの犯行に対する社会的責任を全うさせる必要がある」として少年の検察官送致を決定したことについては、そもそも「事件の背景や動機を明らかに」するのは家裁の仕事ではないか、自らの責任を放棄している、と、厳しくも相当な批判をする。
 著者は、「発達障害が原因」「少年個人の問題」etc.の誤った言説に対抗するかのように、少年事件が有する構造の普遍化を果敢に試みる。すべての少年が大人になっていく原点として、支配度が限りなく小さい父親を、少年が観念の上で殺害し、受容度が限りなく大きい母親が、自然死に近い形で去っていくことが必要である。しかし、父親による支配度が大きいがゆえに、観念の上での父親殺害が不可能になる。さらに、母親による受容度が小さいために、父親殺害へ向かうはずのベクトルが、母親へと向かってしまう少年がいる。彼らは、自死へ向かうのでなければ、両親を殺害しなければ、大人になることができない。だから、少年を原点に引き戻すためには、父親の支配による従属、母親の受容の撤収による絶望を、打ち破るような、外部からのサポートが必要になる、と。実際にはそのサポートも難しい状況にあるのだが(民生委員、教員…)。個人責任化に対抗し、少年たちにとっての居場所を確保し続けることだけが、少年たちの心を育む。 うーむ。少年事件をめぐる筋違いな言説をただすためにあえて個別事件の説明にとどまらず、果敢に普遍化を試みた、その意気は大いに買いたい。しかし、どうも、実務家的な思考から離れられない私には、あまりに観念的であると感じてしまった(裁判官などにとってもそうかもしれない)。私が底が浅いからだろう。あくまで個別事件に取り組む弁護士として、一般化、普遍化には抗いたいという、職業上の癖かもしれない。
 著者は臨床精神科医であると同時に精神鑑定にも携わっているので、多くの事件の詳細を、直接あるいは間接的に知り得る立場であるが、あえて新聞報道の内容を基本に情報を抽出し、議論を組み立てている。読者としては、奥歯に物が挟まったような印象が否めない。しかし、精神鑑定に携わる医師が秘密を漏示してしまったら、誰も本当のことを話さなくなる。個別の事件から普遍的な部分を開示することで意義がある、という著者の考えに賛成である。その手法と関連して、奈良医師宅放火事件を題材にした『僕はパパを殺すことに決めた』(講談社)について、少年の供述調書が大量に引用され精神鑑定医が秘密漏示容疑で逮捕された件につき、著者は厳しい。国家による実質上出版に対する介入は認めるべきではないとしながらも、調書からの引用で大半が占められている同書は、「捜査当局のストーリーを垂れ流す酷い本」であり、その点でジャーナリズム失格だと。
少年たちを受容し、貧困な関係を豊饒な関係へと変えていく。それが解決の糸口であるということに、異論はない。しかし、著者も認めるように、この社会は、ますます関係の貧困が広まる一方であることを思うと、絶望感を深めざるを得ない。軽率な、分かった風なバッシングは控える、それに便乗した安易な弁護人・付添人活動を控える。そうした効用はあるが。(良)
Copyright(C) 2001 GAL. All Rights Reserved.
 
TOP BACK