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阿部彩著『子どもの貧困U 解決策を考える』岩波新書 2014年

 著者の『子どもの貧困−日本の不公平を考える』が出版された2008年は、日本の社会政策学者の間で「子どもの貧困元年」といわれる年だという。この年に初めて、日本で子どもの貧困がマスメディアや政策論議の机上にのった。子どもの貧困をテーマにした本が続々出版され、無保険の子どもの問題が発覚し、対策が取られた。この一連の子どもの貧困問題の可視化の動きがなければ、子どもの貧困対策法が2013年に成立することもなかっただろう。著者の前著も、この一連の動きを後押ししたことは、間違いない。しかし、著者は「やっと、ここまで来たか」という感無量の気持ちとともに、未だ貧困の連鎖を断ち切る具体的な支援の道筋が明確ではないことを懸念する。問題は可視化された。では解決策は?著者が財務省のおエラい方々に講演した際に、ある官僚からいわれたという。「具体的に、どのような政策を打てば子どもの貧困は解決するのですか。それがわかれば、私たちだってお金をつけますよ。」その時、言葉が出なかったという。その問いへの答えを示したい。その思いが、本著を書く動機である。
 著者は、子どもの貧困の現状を概観した上で(景気の変動の波があっても、子どもの貧困率、国民全体の貧困率も上昇していること=景気回復が貧困対策にはならないこと、子ども期に貧困であることの不利は子ども期に留まらず大人になってからも持続すること、貧困の社会的投資は未来への投資となること等)、子どもの貧困政策に対する国内外の研究のこれまでの知見と洞察を総動員する。
 貧困の要因は様々である。要因完全な究明は出来ないが、肝心なのは、「できることをやる」という姿勢であると著者はいうが、その通りである。たくさんの政策のレパートリーが示され、その長短が検討される。衝撃的なのは、日本における貧困政策の効果が検証されていないということだ。そんな当てずっぽう、思いつきの政策立案は、実は貧困政策以外の他の政策でもとられているのではないかと、納税者として不安になる。このプログラムは効果があるのか。その効果を測るためには、参加を希望してきた子どもたちを二つのグループに無作為に分け、一方はプログラムに参加し、もう一方は不参加とし、効果を検証することが必要である。ここで、ついひるむ。折角プログラムに参加したいと手をあげた子どもたちを参加させず、参加した子どもたちの成果の評価のためだけに利用するとは、と。しかし、アメリカの社会科学はそこを躊躇しないのがすごい、と著者はいう。確かに、効果的な政策を提案しないで、思いつきの政策を放任しているほうが、多くの子どもたちに酷かもしれない、と思い直す。
 財務省等も納得する、説得的な政策を提案したい。その気持ちがひしひしとわかる。だから、「かわいそうな子どもたちの救済を!」というスローガンをガンガン打ち立てることもないし、「これが決定打だ!」というアドバルーンをあげることはない。現金給付のメリット、現物給付のメリット、しかしどちらも難点があるし、厳しい財政事情もある。プライオリティをどうつけるべきか。組み合わせはどうすべきか。費用対効果から現実化が可能なものは何か…。限られた予算という現実と、厳しい子どもたちの貧困という現実、さらには実証的なデータが乏しいという事情を踏まえて、もがいているようである。
 可哀そうな子どもの問題をより深く知りたいという前著の読者にも、「それは結局いくらかかって、効果はどう見込めるのか」という政策立案者にも、本著は物足りないかもしれない。しかし、「では何をすればよいのか?」という大きな問いへの回答を、著者一人に担わせるのは、酷である。考えるべきスタート地点を示してくれた、それだけでも、大きな意義がある。
 本著の出版後、2014年8月下旬、子どもの貧困対策の基本方針となる大綱案の内容がわかった。財源がないとの理由で、給付型奨学金の創設や児童扶養手当の拡充など、経済的に直接救済する新たな具体策にはほとんど踏み込んでいない上、対策によって政府が貧困をどれぐらい減らすのかの数値目標すら盛り込まれていない。子どもの貧困問題に取り組む現場の関係者からは失望の声が出ているという(東京新聞2014年8月26日朝刊)。大綱は5年ごとに見直しされるが、子どもの成長は早く、5年を待ってはいられない。本著を手がかりに、限られた財源の中でも、何から手をつけられるか、知恵を出し合って、更なる充実が図られることを望んでやまない。(良)
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