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辻田真佐憲著『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』幻冬舎新書 2016年

 「当局の思惑そのまま垂れ流し、全く客観的な事実とかけ離れた信用できない嘘っぱち情報」とdisりたいとき、「大本営発表みたいだ」というのが手っ取り早い。しかし、「大本営発表」ってそもそも何?本著は、1937年11月から1945年8月まで、特に1941年12月からの太平洋戦争期を中心に、大本営によってどのように戦況が発表されたのかを検証する。まさに、いまもなおdisり用語としてその名を残すに足る、いや予想を超えるほどの隠蔽、誇張、歪曲ぶりに呆れ、そしてその結果多くの人々の命が失われていった悲劇的な歴史に突き進んだことを思い、震撼とさせられる。
 大本営(当時の軍の最高司令部)が発表を歪めた要因は様々である。たとえば。報道部は情報をなるべくたくさん出したい。しかし作戦部は作戦の秘密を重んじ、できるだけ報道部の発表を制限したい。その上作戦部は大本営の中でも「エリート中のエリート」で発言力がきわめて強かった。そのように各部署に配慮した発表は、組織間の不協和や妥協の影響をもろに受けやすい、という点は、大本営のみならず官僚機構には生じうることではなかろうか。
 しかし、責めは大本営だけに帰せられるものではない。太平洋戦争以前、日中戦争の当時は、大本営報道部は、思いのほか淡々と戦況を伝える「地味」なものだった。むしろ、部数拡大をめぐり熾烈な競争をしていた新聞のほうが「暴走」し、まだ南京が「陥落」していないうちに「南京陥落」ととれる号外を発表したりした。そのような報道を否定しては、国民の士気が下がってしまうと悩みつつも、大本営は、正確な情報を伝えるに留めていた。
 熾烈な部数競争は、センセーショナリズム以外のほかの弊害、さらに大きな弊害も生んだ。すなわち、報道合戦を勝ち抜くために、各紙は軍部との協力を不可欠とした。軍部もまた便宜を図ることで、軍部に有利な記事を配信せよ、と介入することになった。大本営発表や軍部の行動を批判的に検証する、報道本来の役割は置き去りにされてしまったのだ。
 もっとも、大本営は、太平洋戦争に突入しても、「快勝」が続いた当初は、戦果を下方修正するなど、まだ正確を期そうとする姿勢があった。しかし、多くの国民がラジオで聴く時代になり、「文体」もラジオというメディアにあわせ、吉川英治のアドバイスを受けた物語調にしたマレー沖海戦の発表のように、脚色に腐心するようになる。海軍報道部が華々しい物語調の報道を始めると、陸軍報道部は焦り、「鉄槌的打撃」「意気天を衝く」など、修飾語を乱用して対抗する。なお、陸海軍で報道部はばらばらで、相互に反目しあった。統合されたのは、敗戦3ヶ月前の1945年5月だったという。両者の対抗心もまた、発表をエスカレートさせた要因でもあった。
 1942年3月に、前年の12月の真珠湾攻撃での9人の戦死者と1人の捕虜が出たことについて、大日本本営は「天佑神助を確信せる特別攻撃隊」、「全員生死を超越して攻撃効果に専念し、帰還の如きは敢てその念頭に無かりし(略)」、「かくの如く古今に絶する殉忠無比の攻撃精神は(略)、今次対戦史劈頭の一大事業といふべし」と9名の戦死をたたえ、それぞれの人柄が語られ、いずれも20代の若者たちの「健気さ」が強調された。合計10名が搭乗していたのだが、あと1人のことは触れられることがなかった。米軍の捕虜になっていたからだ。日本軍は捕虜になることを不名誉としていたために、隠蔽したのである。他方で、9人の戦死者を称える海軍報道部のキャンペーンに呼応して、「九軍神」はレコードや、紙芝居や、映画で盛んにもてはやされる。この「生命を投げ出して敵艦を沈めた特別攻撃隊」の虚像の称揚が、のちに「神風特別攻撃隊」という大きな悲劇を生み出す一因となった。
 それでも、連戦連勝によりあえて虚偽を発表する必要のなかった緒戦の時期は、間違った発表も、悪意のない判断ミス程度であった。しかし、「まさかの敗北」を期したミッドウェー海戦(1942年6月)で「快進撃」が止まってからの病的な誤魔化しは目を覆うばかりである(いや、目を覆わずしかと読まねばならない)。祝杯を用意していた海軍軍令部は待っていた戦勝ではなく空母3隻炎上との報告に、呆然とする。しかし、「ある程度の敗北を敢えて知らせ、国民の奮起を促す」考えの報道部の抑制的な「誤魔化し」の原案を、「国民の士気が衰える」と作戦部が猛烈に反対し、双方が延々とやりとりした挙げ句「自然の成り行き」で「理屈も何もない」状況で、架空の戦記小説のような戦果を発表することになる(「自然の成り行きで」。責任者が不明な豊洲問題etc.を想起せざるを得ない)。「戦果」を誇張し、損害は組織間の不和対立により隠蔽する。デタラメな大本営発表はこのミッドウェー海戦で基本構造が現出した。ところで、大本営軍部がだましたのは国民だけではなかった。海軍は陸軍にも正確な損害を知らせなかった。いや、海軍内部でも、正確な情報を知らされたのは一部であった。陸軍もしかり。不正確な情報をもとにすれば、緻密な作戦などたてられるわけがない。
 敗北が色濃くなる中、大本営発表の回数は急落する(注意深い国民なら気づくかもしれないが、難しい)。戦いそのものが抹消されたり(1942年10月サボ島沖海戦)、辻褄が合わないことが露呈されていく(沈めたはずの米空母がなぜこれだけ残っているのか…。昭和天皇も戦争末期に「サラトガが沈んだのは、こんどでたしか4回目だったと思うが」と苦言を呈したといわれる)。
 1943年3月以降、大本営発表は再び増加に転じる。守備隊の撤退は「転進」と言い換えられ、全滅は「玉砕」と美化される。本土空襲は、隠したくても、隠すことは難しい。しかし、「○時ころまでに鎮火せり」としたり、「被害に関しては目下調査中」といったまま調査結果を公表しないといった姑息な手段を使った。原爆投下も「相当の被害」にとどめた。
 年を追うごとにデタラメになった大本営発表は、多くの人々の命を損なうことになった。このような破滅的なことは二度と生じさせてはならない。報道機関が大本営報道部の下請けに成り下がらなかったら、大本営もここまで歯止めがきかなくなることはなかったのではないか。軍部は一方的に報道機関を「弾圧」したのではないことに、注意しなければならない。大本営は、飴と鞭を使い分けながら報道機関を徐々に懐柔し、報道機関も従属していった。ううむ。何か悪寒が走る。著者が最終章及び「終わりに」で触れるように、安倍政権とメディアの関係(籾井NHK会長の「(熊本地震に関連する原発報道について)公式発表をベースに」発言、高市早苗総務大臣の放送事業者に対し停波を命じる可能性についての言及etc.を思うとき、この「大本営発表」の病理は、現在もなお私たちが直面する政治とメディアの問題を考えろと迫っている、と悟らざるを得ない。(良)
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