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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
現代思想9月号『特集 婚活のリアル』青土社 2013年

 この雑誌は毎号充実していて1ヶ月で読むのが苦労する。今月も然り。「婚活」という、「就活」同様、結婚を目標にして積極的に活動する=「婚活」。いかにも流行語を狙ったかのような安易な響きに、今いち関心を持てない言葉だった。しかし、この言葉の背後には、ジェンダー、家族、そしてこの社会を…この社会の歪みに関心を持つ者として、目を向けなくてはいけない多数のリアルな課題がある。そのことをこれでもかこれでもかと思い知らされる一冊である。
 まずは竹信三恵子と大内裕和の対談「『全身就活』では乗り切れない」。これだけでも、「婚活して結婚したい!」と夢見ている人は、打ちのめされよう。竹信の以下の発言はグルーミーであるが、的を射ていよう。「(女にとって)結婚以外で食べていける道は相変わらず狭いのに従来型の扶養可能な結婚ができる男は減ってしまった。その結果、結婚のハードルがものすごく上がってしまい、狭き門としての必死の『婚活』が出てきた」「就活の大変さからの一種の逃避として「いいお母さんになる」を理由に就活を避けたいという気持ちが働いているようにも見えます。自分のお母さんは専業主婦だったし、ああいう感じでも生きていけるんじゃないか…現実に就活のハードルが高く、働くことによる自活の道が塞がれているから、ノスタルジックな方向に逃げ道を考えているのではないでしょうか。」八方塞がりのなかでの脱出口?しかし、そこもまた塞がれている。結婚したところで、甘くはない。「家族を養うことは男の沽券」との観念がいかに根強くても、それだけ男がカネを稼げる時代ではない。それでも逃避する男女、さらには少子化に危機感を抱く自治体、親のカネを当てにする婚活産業などの諸アクターが、「婚活」を空しく盛り上げる。二人の対談は、結婚のあり方・家族モデルと強く結びついてきた「日本型雇用」が新自由主義のもとで流動化する中で、「男は外、女は内」という家族のあり方を維持しようとする新保守主義が追求されていくという過程を鋭く分析していく。その一環としてブームを迎えた「婚活」に、展望はない。大内が指摘するように、男性稼ぎ手モデルや性別役割分業を支えた日本型モデルの解体を見据えて、男性モデルの長時間労働を改める、住宅費の高さ(若年層、ひとり親家庭の自立を困難にする)を是正する、子どもの教育費の私費負担を引き下げるといった、適切な教育・税制・住宅等の政策が求められる。しかし、新自由主義のもと疲れた人々は、見たくないものと向き合わず、「わかりやすい」「勇ましい」メッセージを発する政権を選び、支持している。絶望しそうになるが、いやしかし、まだ現実を直視して諦めない人たちもいる。保育所増設要求運動など。私たちはそれらの運動を意識的に支援しなくてはならない。
 雨宮処凛へのインタビューも冒頭から陰鬱な気持ちに。かつて、話題になった赤木智弘の「希望は、戦争。」をもじって、「希望は、結婚。」とでもいえる絶望的な現状。男性が稼ぎ女性が専業主婦ないし家計補助的なパートをするという非対称性がDVの温床になるという構図があったが、現在男性女性とも貧しくしんどい状況の中で、DVを被りつつもなお共振的にとどまる負の渦のような構図もある。結婚しなくても、結婚しても大変。オルタナティヴな幸せモデルを探したい、しかしそれはどんなモデルだろう。「非正規でも等身大で生きて行こうよ」では貧しすぎてモデルにならないという雨宮は正直だ。
 資本主義国家が、認知資本主義段階においても、家族制度や婚姻制度を通じてのガバナンスを手放すことはない、なぜなら、認知資本主義への移行が「成功」するためには、フレキシブルでいつでも取引に対応可能な即応的な労働力と、そのような労働力を安定的に再生産する労働力とを、持続的に供給できるしくみとして、家族や婚姻制度を再構築できるかが、大きな鍵であるから。そう看破する海妻径子「認知資本主義は婚姻制度を必要とするか」は、いま新自由主義は、フレキシブルな労働力としての女性の活用と、労働力(高度な知的ポテンシャルのある認知的労働力)を無償で再生産してくれる者としての女性の活用とのあいだの、均衡をどこにとるのかで、試行錯誤の途上であるようにみえる、と指摘する。日本でも安倍政権が「女性の活躍が成長の要だ」と掲げる一方、自民党憲法改正草案にみられるように、保守的な家族主義の看板を決して下ろさないことを想起しないではいられない。
 箕輪明子「新自由主義時代における家族の多就業化と新しい家族主義の台頭」は、勤労諸階層の「ひとなみの暮らし」イメージが変更を余儀なくされている状況を豊富なデータをもとに検証する。新自由主義下の子育て世帯においては、父親の低所得化と母親の労働力化が同時に進展している。母親の労働力化は非正規化と軌を一にしている。妻の収入は家族生活の維持に不可欠でありながら、家計補助的であることを脱しきれない。時には子どものバイトも含め、家族が多就業でようやく生計を成り立たせているという状態、すなわち、家族から離れれば生活できないという事態は、家族的結合が現実的にもイデオロギー的にも強いものと認識されることになる。これは新しい家族主義といえる。
 2013年、「生命(いのち)と女性の手帳」を「若い世代の女性」に配布するという計画が登場し、中止となった。結婚・妊娠前の若い女性に「手帳」を配りたいという欲望は、これが初めてでなはなく、繰り返し登場してきた。政府は、人口を増やしたいと考えるのに、婚姻制度内の「あるべき家族」を前提にしたままだ。大橋由香子「結婚は少子化対策のためにある?」は、戦前、戦時中に遡って、コントロールする側が、女に妊娠させたい、望ましい子どもを増やしたいときは、結婚を奨励し、手帳が好きだということは変わらないと指摘する。
 石田光規「婚活の商人と承認との不適切な関係」は、結婚情報サービス会社の婚活システムを分析し、結婚情報サービス会社を通じて婚活に参入する人たちは、数々のスクリーニング(学歴、職業、年収、居住形態等詳細な情報を記載するプロフィール票で他者と見比べられる)を経て、結婚というゴールを目指す。スクリーニングを経た承認の獲得競争は、獲得できた人と獲得できない人のコントラストを残酷なまでに明らかにする。頻繁な「お断わり」を経験した人は、アイデンティティを著しく動揺させる。突破できないからこそなお承認獲得手段の探求へという隘路に入り込んでいくも、蓄積される不安は着実に心を蝕んでいく…。承認獲得のルールに則った婚活ビジネスが、一部の人たちの承認の剥奪に寄与しているという皮肉。
 結婚なんて関係ないと非婚の親になっても、「こん」はどこまでも追いかけてくる。児童扶養手当を申請する際には、事実婚ではないか、「お上」はしつこく詮索する。「配偶者控除」のため、給料は安いままにおさえられる。婚姻歴のない母は、寡婦控除の適用外。赤石千衣子「婚こんいつまで婚からこん」は婚姻から自由でいたいと思っても逆に排除されている現状を変えよう、疲れたが、と率直にまとめる。
 あらゆる政策が、「標準的な家族」を念頭にしてきた。住宅政策もしかり。ライフコースが多様化しても、なお、政府の住宅政策は、家族世帯の持家取得ばかりを促進するという伝統を保ったままである。平山洋介「女性の住まいとライフコース」は、特定パターンのライフコースのみを標準とみなしそこに援助を集中するのではなく、多様な生き方に中立的に対応する住宅政策の立案、実施が必要だと説く。未婚のままで年齢が上がる人たち、単身世帯、賃貸住宅に住み続ける世帯、不安定就労の人たちなど、多様なままにニュートラルに支える制度が必要であり、それがなければ、社会分裂の危険すらあると警鐘を鳴らす。
 「婚活 ♡」ムックと誤解して買った人(誤解する人なんかいないか…)は、ナンじゃこりゃと落ち込むか、あるいは怒り出すだろうか。いやしかし、全身婚活で満身創痍になる前に、婚活のリアルを知って、全身婚活で満身創痍になることもないか〜とクールダウンするにはいいだろう。
 栗原康「豚小屋に火を放て 伊藤野枝の矛盾恋愛論」は、痛々しく婚活挫折経験を曝け出す。大学院講師でほとんどお金がなく、大学院時代にかりた借金は600万円を超えている。「がんばろう、日本」とよびかけられ、その基盤は家族の絆と喧伝されていた折、その言説におどらされ、彼女のためにアルバイトの就活をしたりもした。家族の構成員として役にたつとアピールしたわけだ。しかしそれすら認められなかった。しかし、合コンに行きたいとたくましく、いや皮肉たっぷりに、しめくくる。おや、そういえば私のまわりには酒井順子がかつて面白おかしく描いたところの「負け犬」たちがいる。彼女たちを栗原のようなインテリな貧乏な人たちとの合コンを企画してはどうか。おっと…、結婚という「標準」を所与とせずオルタナティヴな幸せモデルをという本特集を貫く主張に共感する上日ごろジェンダーとかなんとか言っているくせに、「あがりは結婚」という観念がおのれの中に未だ強いことを悟る。(良)
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