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加藤寛・最相葉月著『心のケア―阪神・淡路大震災から東北へ』講談社現代新書 2011年

 2011年3月11日、東京で大きな揺れを経験し、津波の映像をみて体を硬直させた最相葉月は、その直後、神戸に向かい、加藤寛に会いに行く。加藤は、1995年から阪神淡路大震災の被災者支援機関「こころのケアセンター」、2004年からトラウマの専門機関「兵庫県こころのケアセンター」に所属し、現在同センター副所長(本書当時)を務めていた。そのとき加藤が本をまとめることを提案したという。神戸での通常診療のかたわら、被災地を走りまわる多忙な加藤に、伴走する最相がいなければ、本著は世に出なかった。このコラボの実現は、この社会にとって…今後も様々な被災を避けては通れないこの社会にとって、とても幸運なことだ。
 第1章「東日本大震災後50日の記録」では、早期に現地入りした心のケアチームと加藤の活動を通して、精神科医や看護師、保健師など専門職が災害早期に行った心のケアの実態が報告される。阪神・淡路大震災の被災者の心のケアをリードする立場にあった加藤ですら、東日本大震災の被害の規模明らかになるにつれ、津波のもたらした圧倒的な被害に、放心状態になったという。さらには福島第一原発事故。都市直下型地震だった阪神では、町そのものが失われるということはなかった。ところが放射能汚染は異なる。転住のプロセス自体、孤立感を深めるが、先祖代々守り続けた土地を失う喪失感は、人々に厳しいインパクトを与える。まずは生活の再建と安定が急がれる。日々の生活を安定させる支援が大切で、精神保健の専門家ができることは少ない。そもそも会える人もごく一部。ほとんどの人には自力で回復してもらうしかない。せめて、回復力を高めるメッセージをお伝えしたい。加藤氏は、専門家としてとても謙虚だ。自らも被災しながら、外部から来る支援者たちの調整をしなければならない地元の町の職員たちが疲弊していく。それを察した兵庫県心のケアチームは、派遣期間を1週間とし、1日ずつ各チームの活動期間が重なるようにし、チーム間で申し送りが出来るようにする。このような工夫で、地元の支援者たちがどれほど助かるか。「心のケア」もまた、抽象的な心構えではなく、実践的な細かな工夫が有用であることがよくわかる。
 第2章「被災者の心の傷」は、災害によって人の心にどのような変化が起きるのか、疵が深まらないための予防策、治療を取り上げる。眼球を動かす療法EMDRなど、専門外の者にとって、まさかのトンデモ療法のように思えるが、国際的なPTSDの治療ガイドラインでは、「実証された最も効果のある心理療法」のひとつに挙げられているとか。逃げ込める安全な場所を確保したあと、いやな記憶を処理していく、目をうまく動かせない場合は、タッピングといって膝を交互に叩く、といった具体的な方法の説明を読むと、未だににわかに信じがたいと思いつつ、慎重に実践されていると理解できる。PTSDと診断された人のうち、7割は、治療を受けようと受けまいと、恢復するそうだ。大事なのは、時間の経過だ。残り3割もいるのだが…。専門家でない人ができる支援とは何か。大切なのは生活基盤の安定。それを整備していくお手伝いができないか。さらに、情緒的な支え。辛い話を打ち明けられた時に、どうしたらいいか。その人をそれ以上傷つけないよう、全身がセンサーになったつもりで聴く。つい簡単に相槌を打ちたくなったり、「自分も母を亡くして悲しかったけど、こう立ち直りました」などと話したくなったりする。しかし、それは役に立たない。突然津波で亡くなったのと、病気で亡くなったのとはわけが違う。逆に、プロとして自分の感情を意識しないようにしているが、つい感情が動いてしまう。先生が目に涙をためながらじっと黙って聴いてくれてとても助かった、と言われたこともあるという。マニュアル通りにやらねばならないということでもない。自助グループでの情緒的なつながりも回復によい。悲嘆は消えなくても、あたたかな気持ち、自分が役に立っているという満足感など、悲嘆以上の感情が、大切なのだ。
 第3章「阪神・淡路大震災でできたこと、できなかったこと―復興期の心のケア」では、阪神・淡路大震災の発生直後から心のケアにあたってきた加藤医師がこころのケアセンターの活動を振り返り、その成功と失敗を検証する。1995年1月17日からの記憶は今も生々しく残っているという。専門家としても試練のときだったのだ。2001年解散したこころのケアセンターでの心残りとしては、有効な治療方法を当時は知らず傾聴して話を聴き、現実的な支援をするだけだったことなど。その反省を東日本大震災では活かして、ちゃんと治療につなげる仕組みをつくらなければならないと語る。医師らが出会えたのは、おそらく自分で回復しつつあった人たちで、自分の中に苦悩を封じ込める(「回避」といわれる)重い症状の人たちには出会えなかった。地域の保健活動や他の科(内科等)、学校など、セーフティネットをかけておく必要がある。
 第4章「回復への道のり―肉親を失った二人の経験から」は、阪神・淡路大震災で被災し、肉親と家を失った二人が、愛する人を失った後、どのような日々を送り、どのように苦しみを乗り越えたかを語る。当時13歳だった女性の隣で寝ていた2歳上の姉は瓦礫の下で即死した。寝る位置が違ったら、自分が死んでいた。自分が死んだら、姉が死なずにすんだ、という罪悪感に苛まれる。それでも、自分がしっかりしなければと頑張ってきた。家族全員、震災の話を避けていた。両親と一緒に住むのがしんどくて、県外の大学へ進む。震災から数年経過して、フラッシュバックなどを経験した。たまたま大学でPTSDを学んでいたので、自分の症状を理解でき、加藤医師の治療を受けるようになる(ほっとする反面、一方で、PTSDを学んでいない被災者のほうが多いだろう、治療につながらない患者もいるのだ…と胸が痛い)。暴露療法なども、当事者の視点から語られていて、だんだんと回復に導かれた過程がよくわかる(「暴露」などという言葉のイメージだけでうさんくささを感じていたのが恥ずかしい)。日常の仕事が大切、というシンプルな言葉は深い。大学生の息子を亡くされた男性は、「暗いトンネルに入っていた」「家庭崩壊しそうな状態」に家族で苦しみと閉じこもっていた時期を経て、今では東日本大震災後に支援物資を送る活動までなさっていて、とても活動的に活躍していらっしゃる。苦しい中から、小さな光を見出していった過程に胸を打たれる。
 第5章「支援者へのメッセージ」は、消防士や医療関係者、ボランティアまで、支援者が抱えがちな「惨事ストレス」とは何か、支援者が留意しておきたい心のケアを取り上げる。たとえば、町の職員たちには、「まずご自身を大切にしてください。」と言ったところ、「なんにも感じない、疲れも感じない。眠らなくても平気だ。」「目の前で同僚がいっぱい流されていくのをみた。でも悲しみなんかまだ感じない。」、そんな自分たちの状況からしたら、自分を大切になんていうことはとてもいえるものじゃないだろう、と。抽象的に言ってもまるで絵空事。そして、職員は3割亡くなっていて、仕事は何倍も増えている。そこで、まずは、お茶を飲むスペースを誰にも見えないところで作ってはどうか、血圧をチェックしていただくだけでもできないか、と提案する。みんなが苦しんでいるのに自分がリラックスしては不謹慎だという気持ちもある。外部から行った支援者たちが、内部の支援者をまず支える必要がある。加藤医師自身、外来の後、とても疲れ、「つまらないことで子どもを叱ったり」し、何度もこの仕事から離れたいと思ったともいう。やはり、どんな専門家でも、人間は人間、自分の心を守ることが必要だ。その方法はというと、また具体的だ。仕事と関係のないことをすること。それも、達成感のあることのほうがいい。加藤医師の場合は、料理と釣り。そして、関わった人が回復して行くプロセスに接することで、支援者も回復していける。DV被害者の支援に関わる弁護士としても、この最後の言葉に大変共感した。
 コンパクトな新書というかたちで、心のケアのありかた(専門家だけによるのではなく、被災経験者など様々なひとが実践することになる)が紹介されていて、大変貴重である。心が折れそうになっている人、そうした人に接する人に、つまりはほとんどの人に、読んでほしい本である。(良)
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