判例 女友だち 映画ウォーキング 情報BOX わがまま読書 リンク おたより欄
わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
ジグムント・バウマン+デイヴィッド・ライアン 伊藤茂訳『私たちが、すすんで監視し、監視される、この世界について』青土社 2013年

 本著は、原著のタイトルである「Liquid Surveillance」・リキッド・サーベイランスを主題として、イギリスにいるバウマンとカナダにいるライアンが大西洋をはさんだメールのやりとりをまとめている。
 ソリッド・モダニティ(固体的近代)を代表する監視の形式であったパノプティコン(一望監視形式)を、ミシェル・フーコーは鋭く分析した。ジョージ・オーウェル『1984年』のビッグプラザ―など、ディストピア小説でおなじみの、プライバシーの収奪者が君臨する、堅牢な監視装置は、今もなお機能している面もある。しかし、現代のリキッド・モダニティ(流体的近代、バウマンが2000年に刊行した書物のタイトルだという)においては、情報処理に基礎を置く新たな監視活動によって、全ての人が、常にチェックされている。リキッド・サーベイランス、すなわち、監視(サーベイランス)が全面的に浸透した現代の社会状況は、陰謀によるものでも、必ずしも意図的なものともいいきれない。ソリッド・サーベイランスより、はるかに複雑で見えにくい。バウマンとライアンは、果敢に、この見えにくいリキッド・サーベイランスを追及していく。
 恐怖心や疑念といった昔ながらの武器も活用はされている。貧者、外国人など。たとえば、福祉に依存する女性たちが、非常に侵襲性の高いコンピュータ支援型の社会福祉事業を受け入れていることなども検証されている(ただし、女性たちは一方で自分の子どもたちのために、そうしたシステムの様々な抜け穴も見出している)。しかし、今や、市民的な自由と安全はゼロサムゲームの状態にあるとか、「隠すもの」を持っている人だけが恐怖心を抱いているといった単純極まりない見方はあたらない。SNSの進展にみられるように、人は自ら進んでプライバシーを開け渡す。
 半世紀以上前も後も、殺人技術を取り巻く状況はほとんど変わっていない。新しいことといえば、手段と目的の差がなくなっていること。いわば、今や切断する首を選ぶのは、斧をふるう人間ではなく、斧なのだ。斧をふるう人間には、それを止められない。将軍から一兵卒に至る軍隊の誰もが、魔法使いからその弟子の地位に降格している。9・11以降、米軍の最先端技術によって収集された「情報」の量は1600%も増加した。斧をふるう人間たちは、良心や道徳を失ったのではなく、ドローンといった機械装置の集めた情報量に対処できない。これらの機械装置は今や人間がいなくても作動出来る。そうすると、どうなっていくのか。「スマート」で「インテリジェント」なミサイルや「ドローン」が、兵士や最高位の将軍から、意思決定と標的の選定の役目を引き継いだ。技術は、殺傷能力に関わるものよりも、殺害行為の道徳的中立化の分野で進展している。ルーティンに飽き飽きしつつ従うオペレーターにとって、アイスクリーム製造機を押すことと、大惨事を引き起こすことに、何の違いもない。ボタンはボタン、ルーティンはルーティン。努力や思考の放棄は、地球規模の大異変を引き起こす。「責任をとる人間の不在」下でのディストピア。ここで、福島第一原発事故を経験した私たちは、あれほどのことに行き着き、さらにそれを経てもなお反省することのないこの国の努力や思考の放棄を想起せざるを得ない。
 ドローン、すなわち、スパイ活動や攻撃任務を伴うアメリカの無人機は、鳥の大きさ、さらには昆虫の大きさにまで縮小されようとしている。ドローンはすべてのものを可視化しながら、自らは不可視の状態にとどまる。すべてのものを脆弱にしながら、自らは攻撃を受けるおそれがない。ドローンは、市民に戦争をほとんど見えなくする。そうなると、戦争をはじめやすくなり、戦争を行う誘惑にかられやすくなる。しかし、自立的に活動する偵察・監視技術は、設計者をも悩ませている。「データのツナミ」が空軍本部の消化・吸収能力を凌いでいて、誰にも制御できなくなるおそれがあるというのだ。底なしのデータのコンテナから関連のある対象を探り出すには膨大な作業と多額の費用が必要となるという皮肉。
 インターネットにおける匿名性の死は、軍事関連の監視技術の進展とはおのずと様相が異なる。amazonでお勧めの本を紹介されるため、FBなどSNSで心地よい承認を得るため…。amazonもFBもヘビーユーザーである私はギクッとする。まさに、私たちは提示される素晴らしいものに対する納得のいく代償と引き換えに、プライバシーの喪失に同意している。しかし、この誘惑から免れるのは、この社会の私たちにとって、困難だ。どうやら監視研究をリードするバウマンらすら、amazonのお勧めに従順だというのだから。接続過剰の現代、「我みられる、ゆえに我あり」なのだとバウマンは指摘する。
 ソーシャルメディアは、ウォール街選挙活動、「アラブの春」など、数多くの抗議活動や民主化運動にも華々しく活用された。これによって、当局が抗議活動の参加者を追跡し続けられるようにもなった。しかし、それによって、SNSの有効性は帳消しになってしまうのか。様々な難しい問い、答えがすぐには出ない問いが、刺激的な対話の中でいくつも提起される。連帯への希望を希求しつつ、しかし、全体的には悲観的なトーンが強い。資力のない消費者は排除される。セキュリティー・システムに「守られた」高級住宅地の富裕層とそこから排除される貧困層の分断など…。この社会に張り巡らされた監視のありようを、直視することを迫る書である。(良)
Copyright(C) 2001 GAL. All Rights Reserved.
 
TOP BACK