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石田勇治著『ヒトラーとナチ・ドイツ』講談社現代新書 2015年

 「なぜ文明国ドイツにヒトラー独裁政権が誕生したのか?」という帯の文句に惹かれて手にし、一気に読んだ。「過去の、異国にあった歴史上の出来事」を知ろうという知的関心、教養のため、とのんびりした気分ではなく、焦燥感に駆られながら。
―20世紀初頭、既に欧州随一の文化大国・経済大国であり、西欧文明をリードする立場にあったドイツで、民主主義を公然と否定し、ユダヤ人憎悪を激しく煽るヒトラーとナチ党が大衆の支持を得て台頭し、ついに政権の座に就くなど、誰が予想しえただろうか。―
―ナチ体制は、「民族共同体」という情緒的な概念を用いて「絆」を創り出そうとしただけでなく、国民の歓心を買うべく経済的・社会的な実利を提供した。その意味で、ナチ体制は単なる暴力的な専制統治ではなく、多くの人びとを体制の受益者、積極的な担い手とする一種の「合意独裁」をめざした。このもとで大規模な人権侵害が惹起され、戦争とホロコーストへ向かう条件がつくられていったのである。―
 「はじめに」に書かれたこれらの文章を現在の日本に重ねずにはいられない。天賦人権説を否定し「公益」「公の秩序」の名目で人権を制約することも可とする等現在の憲法の根本を変えてしまう改憲案を用意する自民党、中でも選択的夫婦別姓など個人の尊重に適う法改正を嫌悪する安倍首相が返り咲いた上、長期政権となっているとは。「アベノミクス」「輝く女性」などのキャッチフレーズを駆使して数々の排除を隠蔽し、多くの人を取り込んでいる様相に、「合意独裁」という言葉が何とリアルなことか。
 1920年のナチ党か掲げた綱領には「公益」に関する条文が続き、中間層の危機意識に訴え、支持基盤に組み入れようとした、という。「公益」の名のもとにどれほどの人権侵害が惹起されたか、いくら強調しても強調しすぎることはない。
 歴史は一人の人間の気まぐれで変わってしまう、という面もある。1933年にヒトラーが首相になったのは、選挙に勝ったからではなく、ヒンデンブルク大統領が任命したからである。3分の1弱の議席しかなく、しかも低落局面にあったナチ党の党首をヒンデンブルク大統領が任命したのは、なぜか。ヒンデンブルクが成立させたヒトラー政権は、ナチ党単独政権ではなく、ドイツ国家人民党という伝統的な保守政党とナチ党との連立政権であった。このとき国家人民党とナチ党をあわせても少数派であった。君主主義者であるヒンデンブルクには、ヴァイマル憲法及びそのもとでの議会制民主主義など尊重する気持ちなどなかった。第一次世界大戦後の混乱の中にあった当時の政権は、首相が大統領を動かし大統領緊急令による政策に頼らざるを得なかった。その状況で、国会はその存在理由を問われ、反共和派が喧伝する議会廃止論も説得力を帯びた。右派の支持のもとに、議会を排した権威主義的統治を行いたいヒンデンブルクは、国家人民党の政治家たちの「ヒトラーを政権に雇い入れる」、「用が済めば放り出せばいい」という囁きに傾いた。しかし、たかをくくっていた保守派たちの思惑通りにはいかず、共産党、社会民主党、さらには保守派たち自身も駆逐されていく。ヒトラー政権の成立からヒトラーが総統(首相と大統領の地位と権限を併せ持つ)に就任するまでの1年半というあっというまの期間に、民主主義国家に戻ることのできない不可逆地点を越えてしまうのだ。そのまま、結果的にホロコーストへつながっていく。
 公権力の介入による圧倒的に有利な選挙戦(野党にはラジオ放送を使わせない、集会、デモ、出版活動等を禁止)で、ナチ党がただちに多数派になった。むき出しの暴力も横行した。共産党や社会民主党の要人が路上で突撃隊に殴打・暴行されても、警察は制止しない。社会民主党の集会に爆弾が投げ込まれる等、流血の惨事が続発した。
 全権委任法とも呼ばれる授権法により、首相は国会審議を経ずにすべての法律・予算案を制定できるようになった。近代国家を特徴づける権力分立の原則が壊されたのである。議会政治との決別を望んでいたヒンデンブルクらは、必要な政策を容易に実行できる同法の成立に期待を寄せた。自分たち保守派の権力基盤を切り崩すヒトラーの道具になる、ということに、ナイーブにも気づかなかったのである。「決められる」政治への傾斜は、恐怖である。
 保守層が期待した通り、マルク主主義の撲滅は断行されていた。しかしその代償は大きかった。ヴァイマル憲法が保障した数々の基本的人権、すなわち人身の自由、住居の不可侵、新書の秘密、意見表明の自由、集会の自由、結社の自由などの権利が損なわれていった。なぜこの過程で人びとは反発しなかったのか。ひとつの答えは、国民の大半が、政治弾圧に当惑しながらも、「非常時に多少の自由が制限されるのはやむを得ない」とあきらめ、事態を容認したか、目をそらしたこと。いっそヒトラーを支持して体制側につけば楽だし安泰だ。そんな甘い観測と安易な思いこみが、それまでナチ党から距離を置いていた人々の態度を変えていった。今の私たちもそんな甘い観測と安易な思いこみに陥るはずがないと自信をもって言い切れるだろうか。
 失業対策、経済復興対策、すべてが効果をあげていなくても、「万事がうまくいっている」というナチ党の耳に快い宣伝に易々と希望を見出してしまった。ホロコーストが本格化したのはナチ時代の後半だったが、前半でも政治弾圧や人権侵害は公然と行われていたし、反ユダヤ主義が国家の原理となったことも明らかであった。それなのに、戦後、ナチ時代の前半は「比較的良い時代だった」と語る人が多いという。景気対策がそれなりにうまくいったという認識のもとで。ところがそれも現実とは異なる。実はドイツ経済はヒトラー政権誕生前に既に景気の底を脱していた。経済政策を決して得手としないヒトラー政権であったが、統計上の操作といったからくりで「失業問題の階層」を喧伝した。注意深くないとそのようなからくりに気づかず、政権を支持してしまうものなのだ。
 ヒトラーは、しばらくは、軍首脳らを前にすれば武断主義者の本音を語ったが、世間に向けては公言せず、「世界平和の維持」を求めている、条約を遵守する、と厳粛な面持ちで語るという二枚舌を使っていた。このヒトラーの顔の使い分けは、ヒトラーを支持しても戦争を選ぶことにはならないと内政上も安心させ、対外的にも、ドイツを対ソ戦略の一角に位置づけ宥和的な姿勢をとり続けたいイギリスに、ドイツによるポーランド制圧まで介入する決断を踏みとどまらせることになった。
 第6章と第7章は、ホロコーストの根本的な原因を探ろうとする。政府の反ユダヤ政策が急進化する経過を辿る第6章では、ほとんどの人が抗議の声ひとつあげなかったことを指摘する。人口で1%にも満たない少数派であるユダヤ人の運命は大多数のドイツ人にとってさほど大きな問題ではかった。それどころか、ユダヤ人迫害、とくにユダヤ人財産の「あーリア化」で何らかの実利を得ていた人は多い。ユダヤ人がいなくなった職場で出世した役人、ユダヤ人が追われた立派な家屋に住むことになった家族、ユダヤ人の装飾品等を競売で購入した主婦、etc.、「無数の庶民が大小の利益を得た」。「帝国水晶の夜」事件後、対外感情を考えて、扇動や街頭での暴力は抑えられた。しかし、ユダヤ人の身の上に生じた不都合を役人も隣人も意に介さなかった。法のもと、さまざまな部署の役人は良心の呵責を感じることなく、「仕事を全う」し、ユダヤ人財産を没収し、競売にかけた。ユダヤ人の排斥が熱狂的に支持されたわけではなくても、ユダヤ人の排斥を阻む民意がなければ、そのシステムが構築されると、粛粛と国家的犯罪が遂行されていったのだ。多くが、「共犯者」となった。そのまま、第7章で取り上げられる、財産のみならず生命まで奪う「絶滅」政策まで遠くはなかった。
 レイシズムの他、優生思想(「健全な人種共同体」のヴィジョンのもと、まず、ホームレスら「反社会的分子」の「予防拘禁」や強制断種や、障害者・障害児の安楽死殺害政策が実行された。同政策に携わった医師、看護師らが、絶滅収容所に配置換えとなった)も、あった。人々は、人権侵害に憤慨するどころか、概して「治安がよくなってよかった」と安心した。他方、既に多大な権力を持っていたヒトラーの周囲には、その歓心と寵愛を得てより大きな権限を得ようとする側近ばかりで、苦言を呈する人物もいなかった。これまた、現在の日本の政治を思い浮かべずにはいられない。
 当時のドイツと現在の日本を重ねるのは、牽強付会と笑われるかもしれない。私としても、一笑に付したい。しかし、ナチス政権成立当時、議会政治が軽視されたところから、短期間のうちに民主主義へ後戻りができなくなった過程は恐ろしい。安倍首相は、2015年5月、安保関連法案が審議されていた衆議院平和特別委員会で、質問中の議員に対し、「早く質問しろよ」と野次を飛ばした。内田樹氏は、この野次は首相自身が国会審議を単なるアリバイ作りのセレモニーに過ぎないと思っていることを露呈したと指摘した(法成立後の9月21日付毎日新聞朝刊)。議会政治、民主主義、立憲主義の軽視を、甘くみてはいけない。甘い見通しをもたない、見て見ぬふりをしない、人権侵害に「共犯」としてくみしない。たくさんの教訓を得られる重要な本である。(良)
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