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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
小林カツ代著『おなかがすく話』河出文庫 2015年

 本著は、2014年1月に亡くなられた小林カツ代さんの1996年の単行本を底本に、本田明子氏の「弟子が語る、その後の話」と本田氏及び小林カツ代キッチンスタジオによるレシピをあらたに増補したものだ。
 子育て真っ最中の日々がそれほど遠くなっていなかった時期であるらしく、忙しい母親であった実感をこめて、「それほど手間暇かけられないけれど、家族のために美味しいものを、しなくていい手間は省いて、なるべく手早くつくりたい」という母親たちに、「こうすれば大丈夫!」と続々実際的な提案をしてくれる。晩年にはさらにジェンダーバイアスに意識的になり、「母親として家族のために」色は抑えられ、男でも女でも、家族がいてもいなくても、美味しいものをちゃちゃっと作って食べるって素敵だね、ということを、説教臭くなく楽しく読ませるようになった。しかし、この段階ではまだ「読者=母親」が念頭にあったようではある。
 当時の母親たちと今の女性たちがいる環境は異なり、時代を感じるところもある。たとえば、子どもが幼稚園のころ、母親たちで「おふくろの味」をわざわざ食べにいったときのこと。ひじきやほうれん草の胡麻和え、おいもの煮っころがしなんておふくろの味に、母親たちは飢えている。しょっちゅう口にしているが、自分たちが作ったものばかりであり、お店で作ってくれたものを食べるなんて新鮮だ、とか。行ってみれば、つい自分で作れば〇〇円なのに、などといじましく計算してしまう、ビーフストロガノフがいくらでもたいして驚かないのに、と。どうだろう、今はビーフストロガノフ等バタくさいもののほうが「おふくろの味」よりおふくろには親しみがあるかもしれない、「おふくろの味」の店のツアーはそのまま「目新しいから楽しい」となるかもしれない、と思う。
 当時で「20年以上前」のお子さんたちが離乳食を食べていたころ、市販のベビーフードにお世話になった、子どもたちのほうがベビーフードに見向きもしなくなった後も、わざわざ買うほど重宝したという箇所もある。果物や野菜のうらごしびんは、アイスクリーム等にとろりとかけるとおいしい、料理の仕上げにも使える、とある。こういう市販のものを使ってもいいじゃない、と書けるところが、カツ代さんの素晴らしさ。市販のものに頼るのはいけない、手間暇かけたほうが美味しいに決まっている、愛情も惜しんでいないことになる、という「道徳的料理家言説」から、主婦たちを解き放ってくれたのだ。もっとも、「弟子が語る、その後の話」にあるように、残念なことに、今ではシンプルな離乳食がほとんど市販されていない、白身魚に野菜とかトマトとかミックス状態の謎の複合味ばかりで、そう活用はできないし、赤ちゃんの舌の訓練にもなるのかと憂う事態のようだ。残念。
 アメリカ人の女性がランチパーティにごちそうしてくれたポークビーンズが美味しく、作り方を聴いたら、カン詰め、しかしそのまま温めるのではなく、オーブンでグリルする、その上市販のマスタードを小さじ1杯加えるのだ、というコツを教えてもらい、目を輝かす。こんな何気ない料理(といえるのか、というレベル)でもほんのちょっとしたことで一味もふた味も違う味にすることができる、とそれとなく私たちをも励ましてくれる。
 気取っていなくて、痛快なところも随所に。お好み焼きを作る際には、「料理研究家ではなくて、浪花生まれのカッチャンになりきる」、この際大事なことはいくら食品衛生法がきびしくとも、真っ赤っ赤の紅しょうがでなければ承知できません、とか。覚悟が足りない私は、オーガニックな薄ぼけた紅しょうがを使っている。浪花生まれのカッチャンにダメ出しされそうだ。
 「弟子が語る、その後の話」にあるように、カツ代さんは筋は貫くが、カチンコチンの頭ではない。好奇心旺盛。おいしいものがあると聴けば、デパ地下でもどこへでも行った。一口食べて「どうしてこうも化学調味料が多いのかしら」と嘆きながらも、好奇心は揺らがなかった、とか。「市販おかずはひと口めでおいしいと思わせる味つけにしている。それに対して家おかずは、最後まで食べて、あーおいしかったと言わせるように仕上げること。ここに大きな違いがあるの」とよく語っていらしたとか。なるほど、卓見だ。
 人を育てる力、心意気もある方だったようだ。弟子は各地で仕事をしているようだ(ピザ店など)。なんと眼鏡屋さんになった人もいる。好奇心旺盛で、マネジメントもたけている、そんなカツ代さんの元で、多くの人が育てられた。病に倒れられ、亡くなられた晩年を思うと切なくてたまらないが、でも、彼女の膨大なレシピは今なおたくさん活用され、彼女のさまざまな言葉はたくさんの人たちが仕事をする上で指針にもなっていると思うと、じわじわと嬉しい。
 カツ代さんは、「九条の会」に「沢山の同じ思いの会があります。みんな手をつないで大きな力にする呼びかけをしてください。」という賛同のメッセージを寄せている。選択的夫婦別姓等民法改正を求めるmネット民法改正情報ネットワークの呼びかけ人でもあった。「弟子が語る、その後の話」には、「(師匠は)いつの日も、若い人や子どもたちには平和で楽しいクリスマスでありますようにと願い、平和への思いがどんどん強くなっていった」とある。「食に携わる人間は、つねに政治に敏感であること」。平和であってこその食べ物の話です、と。食べ物以外でも、そうではあだろうか。平和であってこその音楽、平和であってこそのスポーツ…etc.。「つねに政治に敏感であること」。私たち全員に向けられた言葉ではないだろうか。
 2014年衆院選の日に書かれた「解説」の次の一文は、元最高裁長官も主だった憲法学者もこぞって違憲と指摘する安全保障関連法が成立した(成立にも疑義が指摘されている)現在、なお一層胸に迫るものがある。「師匠が私たち弟子に最も伝えたかったことは、意外かもしれませんが、レシピや技術ではありませんでした。平和なくして食は語れず。世界中の子どもたちがおなかいっぱい食べられること。おなかがすいた人がいないこと。そのために、食の現場を通して言い続けること、訴えていくこと」。(良)
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