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斎藤美奈子著『戦下のレシピ 太平洋戦争下の食を知る』岩波現代文庫 2015年

 こんな切り口があったとは!戦下の庶民の経験は既に少なからず語られてきた気がしていた。しかし、まだまだ知らないことばかり、語られていないことばかりなのだ、と本書を読めば悟ることになる。敗戦の年まで生き残った数少ない婦人雑誌(『婦人之友』『主婦之友』『婦人倶楽部』)が戦下でも説き続けた料理や食の工夫の引用から、「銃後の暮らし」がリアルに浮かびあがる。誌面からも壮絶ぶりに圧倒されそうになるが、今も雑誌は読者の生活ありのままというよりも「頑張れば実践できるかもしれないがそこまで頑張るには時間もお金もない」という「ちっとワンランク上の憧れ生活」であることからすると、リアルな生活はもっと悲惨だったに違いないと実感し、胸が苦しくなる。
 日中戦争前の昭和のモダンな食文化から、日中戦争開始後の大東亜共栄圏の影、太平洋戦争下配給時代、空襲下の決選非常食、敗戦後の焼け跡のレシピという以前に食料の圧倒的不足でのサバイバルまで。数年単位で刻々と時代の空気が変わり、華やかさがいつの間にか薄れ、飢えと隣り合わせの破滅的な緊張感の張りつめたものへと一挙に転じていくのが恐ろしい。
 まずは、昭和初期。女学校でのお嬢様・奥様がクッキングリーダーとしてハイカラな本格西洋料理を紹介した。「米ばっかり+漬物」程度の食生活に、突如栄養学の知識を伝授したのはこの時期の婦人雑誌だ。また、それまで、農家や商家では女性も大事な労働力、炊事なんかに時間は割けなかった。一方、裕福な家庭では炊事は使用人の仕事。いずれにせよ、愛情と料理の間に何か関係があるとは思われていなかった。ところが婦人雑誌は、「手作りの料理は母の愛情のあかし」という「家庭料理イデオロギー」と呼ぶべきものを広める。栄養学への関心と「家庭料理イデオロギー」は平成の今も尚定着しているのではないか。
 日中戦争が始まった1937年ころから、婦人雑誌も戦争気分を盛り上げる勇ましい記事を載せるようになる。勝っているときけば、誰もかれもが易々と「イケイケ」と昂揚するものらしい。「伸びゆく日本!大東亜建設の時代を担うお坊ちゃん方のために」という「端午のお節句料理」といった戦意高揚料理は、手間がかかるわりに美味しくなさそう。「鉄兜マッシュ」「軍艦サラダ」「飛行機メンチボール」。これは何かデジャヴ感が…。あ、あれだ。キャラ弁だ。植民地の人々のことを全く考えていない罪深さがあるものの、やたらとこまかい細工で「母の愛」を示そうというあたり、キャラ弁と全く同じ。でも、主婦は忙しかった。そこまで凝った軍国料理はそうはなかったらしい。
 太平洋戦争が始まる前にも既に米不足が問題となり、官民あげての「節米ブーム」の一環として推奨された「毎月興亜奉公日毎の興亜建国パン」など、小麦粉に大豆の粉、海藻の粉、魚粉、野菜くずなどを混ぜた、家畜の餌に近い「かなり面妖な蒸しパン」。「戦場の苦労」をしのぼうというものだが、さすがにとてもまずくて机上の空論に終わったようである。このあたりも、「ああ今の時代も大真面目にこんな場当たり的なことが沸き起こりそう…」と言う気がしてならない。
 1941年に太平洋戦争が始まってから、婦人雑誌も俄然緊張感を増す。配給に1日2時間〜4時間半(!)行列、というだけでも、想像を絶する苛酷さ。その上長い時間行列を繰り返しても、売り惜しみされたり、量を誤魔化されたりもした。量も少なく、同じものばかりであったり、予定と違うものだったり、何が配給されるのかわからなかったり、質も粗悪だった。そんな時代に婦人雑誌は、少しの肉を、魚を、野菜を、どのように「多く」するか(生大豆粉や野菜を混ぜ込み増量する等)の工夫を説き続けた。このころ、昭和初期に栄養学的な知識が披露されるようになってから定着した「大さじ〇杯」といった分量の記載がなくなる。素材が自由に手に入らなくなった時代には、そんな記載は合わないということだ。
 本土空襲が始まった1944年以降は、レシピというより、議員や軍人が説く「戦国武将を思い出せ」「都市住民は一人残らずが戦闘員」といった無茶な精神訓が掲載されるようになる。空襲でおちおち寝ていられない。長時間配給の行列に並ぶほか、調理の時間も大変だ。見栄えの良い、凝った料理を作るのではなく、一応食べられるようにするために時間が異様にかかるのだ。玄米を棒でついて精米する、雑穀を石臼でひく、ほうろくで炒らなければいけない食材がある、そこかしこでかぼちゃやさつまいもを育て、干しいもにする。苦労して作ったところで、量は少なく、食感や歯ごたえもなく(何でもかんでも増量のため粉にしたので)、調味料不足で味もなく、食材の質も悪い。燃料もなく、冷蔵庫もないので、あったかくも冷たくもない。悲惨というほかない。それでも「栄養」と「愛情」を!と無理なおきてが叫ばれ続ける。日々の食事も足りないのに、空襲時の「防空食」の準備も称揚される。焼け跡生活となれば、「主婦自身の手で道端の土を掘ってかまどを作りましょう」と古代の野戦場並みのノウハウも掲載された。炊事以外にも縫い物、繕い物、さらには隣組、婦人会の仕事もあった。読者である主婦たちは、いかに疲れ切っていたのだろうか。「婦人之友」に掲載された牧野良三衆議院議員の説教中には「主婦の力を積極的な戦力として活用」といったフレーズがある。これほど疲れ切っていてもまだ「活用」しようとしたのか、とめまいがする。しかし、これまた「遠い昔」の気がしない。男女格差がありながら仕事をこなし、育児家事も専ら担い、寝不足で疲れた女性たち。それでもまだ「活用」だの「活躍」しろとの標語が躍る現在のこの空気感と、当時はさほど違わないのかもしれない。
 食べ物は人々の健康。いやそれどころか生命をつなぐため必須のもの。それなのに、ここまで量も質も何も考えられていない事態があったということから、国が戦争が始まるや全く度外視するのは、「敵」あるいは「戦場の兵士」のみならず私たち全員の個々の尊厳なのだ、と悟らされる。そして、そのような非常事態になったときに、私たちは無力だ。その環境を根本から変えることはできず、その中で必死にサバイバルするよう努力するしかない(この点も、福島第一原発後、放射能汚染に怯えながらもこの国で生きていかざるを得ない私たちには、リアルではないだろうか)。斎藤さんが後書きで書く通り、ここから、「耐えること、我慢することの尊さ」を学ぶべきではない。私たちの尊厳が損なわれ、栄養失調で子どもたちの成長も阻害するような事態を招かないように、政治や国家に向き合わなければならないと悟るべきだろう。
 戦争が人々の生活と文化を破壊し、生命を危機にさらすことになることを非常に具体的に示す、良書である。(良)
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