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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
桐野夏生『グロテスク』(文藝春秋,2003年)

 1997年に起きた東電OL殺人事件をベースにした小説。大企業のエリート女性社員の死体が渋谷のアパートで発見された。捜査で,彼女がそのあたりで会社帰りに毎日売春していたことがわかる。小説は,エリート社員(佐藤和恵)に加え,その高校時代の友人で物語の語り手である区役所勤めの女性とその妹で類稀な美貌をもつユリコのそれぞれの手記を中心に展開する。
 東電OL殺人事件の衝撃は,昼間はエリートキャリアウーマン,夜は売春婦,という二重生活にたいする疑問にあった。高給のキャリアウーマンがなぜ?それも道で客引きをするという,一番つらいし危険も多い方法で。被害者の心の闇。この小説は,書評などで「現代女性の心の闇を見事に描き出した」といった賛辞がおくられていたのでそれを期待して読んだが,現代女性の心の闇,というよりは,女性を圧迫し行き場をなくさせる現代日本社会の姿を読み取った。
 和恵の,「勝ちたい。勝ちたい。勝ちたい。一番になりたい。尊敬されたい。」という切実な叫び。彼女は尊敬する父親からそのような価値観を学び,生徒・学生時代は天才ではなかったが努力である程度よい成績を勝ち取ってきた。しかし,あこがれていたQ女子高校では階級社会の存在に苦しめられた。努力ではなく,持って生まれたものに人生が左右されてしまうという理不尽さを彼女はいやというほど味わったに違いない。
 加えて,女は多かれ少なかれ外見で判断されてしまう。社会は女に,美しくあれ,かわいくあれ,愛される存在であれというメッセージを絶えず発する。一方で,女が努力して自分で稼ぎ,生きるという道も,可能性としては開かれた。とくに学生時代は勉学において男女が平等であるようにみえるし,これから出て行く社会もそうであるように思える。和恵も大学時代まではそれを信じていたのだろう。ときにユリコのような美貌の女の存在などによって,「努力するものが勝つ」という信念がゆらぎそうになることがあったのだとしても。しかしやはり男社会を切り崩すのは非常な困難を伴う。和恵は社会にでて,それに気付いたのだろう。「男女は平等だから個人の努力でどうにでもなる」,「所詮男社会で女が対等に闘うのは無理。結局『女らしく』していた方が得」。女は,二重のメッセージを受け取って苦しむのだ。
 和恵は,男社会において大企業の調査室の副室長というエリート会社員の地位を手に入れた。しかし,目に見えない壁があったに違いない。そして,「女は男に愛されてこそ価値がある」という社会からのメッセージに,対抗しきれなかったのではないだろうか。捨て去りきれなかった「女としての自分」,それを満たすために街頭に立ったのではないか。まさにジェンダーの病なのであって,彼女が特別に「心の闇」を抱えていたわけではないように思われる。物語の終盤に迎える語り手の女性の運命の展開は,空恐ろしい。
 本書は女性の生き難さをよく表していると思う。男性作家には書けないだろう。
(パンツ派)

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