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『現代思想9月号 特集 生活保護のリアル』第40巻第11号 青土社 2012年

 2012年,お笑いタレントの母親が生活保護を利用していたことが報じられ,一部の自民党議員がこれを「不正受給」であると問題にしたことを機に,生活保護制度全体について,バッシングの嵐が吹き荒れた。正確な法的根拠の分析や現場の実態を無視したすさまじいバッシングは,メディアにとっては,単なる一過性のブーム,消費対象のひとつにすぎなかったかもしれない。しかし,バッシング報道の下で,最低生活を下回る生活をする人々が,子どもや親族にまでバッシングが及ぶのではないかといった懸念をして生活保護申請を断念し,極貧状態で暮らすことを余儀なくされるかもしれない。既に餓死や孤立死が続発しているこの社会の危機を,バッシングはさらに悪化させることを考えると,単なるブームと見過ごしてはいけないものがある。それどころか,実際,ブームは一過性では終わっていない。報道によれば,厚労省は既に生活保護受給者の親族に扶養義務が果たせない説明の責任を求めることなどを含む制度改悪案をまとめ,社会保障審議会に諮る等,実際的に「見直し」が実現しそうな見込みである。
 本特集には,バッシングに危機感を抱いた論者たち(社会福祉学や憲法学等の研究者,弁護士,活動家,ケースワーカー等)による,生活保護,貧困問題を多角的に分析,考察した充実した論稿が集められている。
 貧困研究の第一人者である岩田正美氏の「生活保護を縮小すれば,本当にそれで済むのか?」は,生活保護の現状だけでなく,その歴史的な役割をも踏まえて,生活保護以外の社会保障のあり方,それらとのかかわりで生じる生活保護の再編成こそが今問われていることを明らかにする。すなわち,統計をつぶさに分析すれば,バッシングが描き出した虚像(「若者を中心に公的扶助への『抵抗感』の減退」等)とは異なり,働き盛りや若年者というよりは中高年層に頂点を持ち高齢者に傾いた世帯の保護利用が広がっていること,高齢化のほか50歳代の稼働年齢層の疾病,失業,収入減による保護開始が保護人員を押し上げていることが明らかになる。そして,生活保護の「適正化」は,文字通りにいえば,濫給を認めないが,漏給をも認めないということのようだが,「正しい受給」と「不正な受給」はそう簡単に区別できるものではない。「適正実施」の北九州市の方式がエスカレートし,開廃の数値目標設定にまで至ってしまった結果,孤独死・餓死が発生したことを想起すべきである。そして,「正しい受給」は,生活保護法が廃したモラル判断(生活保護はモラルを鍛える制度ではなく,貧困救済の制度である)を保護行政に求める危うさを含み,生活保護制度にふり当てられた役割以上の機能,すなわち「価値ある貧困者」の選別による「社会の健全化」を果たすことを求めているようにすら見える。誤った認識のもと生活保護問題の「不正」や「適正化」をあげつらっている場合ではない。生活保護利用者の急増は貧困が拡大していることのあらわれであること,貧困の拡大が稼働年齢層と高齢層では異なっていることを直視し,社会保障制度の抜本的改革と,就労支援だけではなく年金制度による最低生活保障の実現など,社会保障制度の抜本的改革が必要であることを認識しなければならない。
 その他いずれも一読をお勧めしたい論稿である。生活保護が保障する最低生活の概念を考察した上で,生活保護がその歴史の中で築いてきた論理を参照することのない言説が影響力を持っている状況を憂い,それら「直感」による発言に真剣に思考する気が萎えると率直な心情を吐露しながらも,諦めてはいけないという岩永理恵氏による「『直感』に支配される生活保護」,「恥」の感情でどれだけの人が餓死・孤立死に追い詰められるか,バッシングという「祭り」の怖さを指摘する雨宮処凛氏へのインタビュー,国会の場での国会議員による法の無知による的外れな「不正受給」との非難やその後のモラルハザードとの大合唱に立憲民主政の危機をみる笹沼弘志氏の論稿,ひとり親家庭問題解決に向けた大きなテーブルがないことを憂う赤石千衣子氏による「民主党政権は母子家庭の貧困を救えたのか」等,いずれも読みごたえがある。
 バッシングに「直感」で同調した国会議員やマスコミ関係者に,じっくり読んで頂きたいと切に願う。(良)
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