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ポール・ファーマー著 豊田英子訳 山本太郎解説『権力の病理 誰が行使し誰が苦しむのか 医療・人権・貧困』みすず書房 2012年

 読み進むと重い鉛のように憂鬱になっていく。様々な「権力の病理」による貧しい人々の苦難をまざまざと知らざるを得ないから,そして,それを見過ごす私たちへの非難が繰り返されるからだ。でも,目をそむけてはいけない。これらは架空の物語などではなく,実際にファーマーが目撃してきた,現実のことなのだから。
 ファーマーは30年以上ハイチなど貧困国で無償医療活動を行ってきた医師であり人類学者である。本著は,ファーマーによる怒りに満ちた告発の書である。彼は何に怒っているのか。第一に,社会的不平等―医療においてとりわけ深刻な影響をもたらす―を悪化させ,人権を蹂躙する「新世界秩序」の構造的暴力に対して。そして,それを見過ごす全ての人々に対して。ファーマーが批判の矛先を向けるのは,IMF,アメリカ,薬品等をめぐる市場,偏見に満ちたメディアといった,真っ先に浮かぶところに留まらない。社会的経済的権利−貧困者の権利―を軽視する「人権コミュニティ」に対しても,硬直した個別主義的・相対主義的傾向に陥っている一部の人類学者に対しても,平等に医療を受けられないことによって無数の人々の命が縮められていることを無視して専ら脳死や臓器移植を巡る法医学的問題や医療情報開示問題を取り上げる生命倫理の研究者に対しても,社会的不平等を不問にして計画通り実現しないのは指導を順守しない貧しい人々のせいだとする公衆衛生の計画立案者に対しても,容赦ない批判を向ける。ファーマーの告発は,どれも彼が目撃し経験してきた人権侵害・蹂躙の事象を例証しながら行われているので,抽象的な糾弾ではなく,説得力がある。
 第1章(苦しみと構造的暴力について)は,論文集『他者の苦しみへの責任 ソーシャルサファリングを知る』(みすず書房,2011年)に収められた論文を敷衍したものだ。ファーマーは,第1章で紹介するアセフィーとシューシュー,ハイチの若者2人のストーリーを,構造的暴力の犠牲者−何百,何千万人という貧困者の「典型」だという。ダム建設が生んだ「水難民」の子どもであるアセフィー。豊かな収穫に恵まれ牧歌的な生活が営まれていた村からダム建設のために岩だらけの丘に移住させられた一家は,たちまち困窮する。顔立ちの美しいアセフィーは,学校に通いながら母親を手伝って地元の市場に作物を運ぶようになった。市場に通う農村の女性を兵士たちがからかう。アセフィーの運命も決まっていた。貧困にあえぐハイチの農村では,給料取りの兵士は魅力的なのだ。アセフィーは,駐留していた大尉の目にとまるや,その視線に応えた。妻子,さらに他に多数の女性がいることを知っていても,唯一の「貧乏からの脱出口」である以上,抗えるはずがない。ところが大尉は間もなく原因不明の熱が出て妻のもとに身を寄せ,死んでしまう。アセフィーは,首都へ向かい,家政婦として働き始めた。そこで同じ村出身のバスの運転手と交際し,妊娠した。しかし,若者は妊娠を告げられると逃げ出してしまう。雇い主からは体裁が悪いとして解雇されてしまう。アセフィーは田舎に帰り,娘を産む。娘を生まれて数か月,アセフィーが寝汗と下痢に苦しむ。アセフィーは「今では,私たち2人ともオムツが必要なの」と嘆く。アセフィーの死後,母は嘆き苦しむ。苦悩を隠していた父は首をつって死んでしまう。大尉の妻も,年ごと痩せていく。5人の子どもを抱えて,食べさせることもできず,絶望的な状況である(そのうち2人の子どもも病気だ)。アセフィーを捨てた運転手は見たところ健康だが,HIVに感染しているかいないかわからない。彼にはたくさんのガールフレンドがいる。
 クーデター後のトラックの中で,シューシューは「物事がきちんとしていれば,道路だってとうに修理されているはずなのに」と悪路に文句をつけた。クーデターで追放された―ハイチ初の民主的選挙で大統領になった―アレスティドの名前を言ったわけでもなかった。それでも乗り合わせた私服の兵士にいきなり殴られ,数日間拘留され拷問される。それは終わりではなく始まりであった。再び逮捕され,再び拷問され,瀕死の状態で溝に捨てられていた。口の中は黒い血の塊でいっぱいであり,のどは銃床でなぐられ,奇妙に腫れていた。肋骨は数本折れており,性器は切り取られていた。これは体の前面の被害だ。背面もさらに悲惨な状況であった。意識を失っていたほうが良かった。シューシューは3日間苦しみ抜いて死ぬ。
 圧倒されるが,2人の物語は特殊なのではない。ハイチでは,エイズと政治的暴力が若者の主な死因である。このような苦痛は,事故や不可抗力の結果ではない。彼らは,構造的暴力の犠牲者なのだ。ハイチの若者だけではない。米国沿岸警備隊に拿捕されたハイチの難民たち,メキシコのチアパス州の農民,労働者,ロシアの刑務所で多剤耐性結核に罹った囚人たち…権力の深い病理の結果である人権侵害,蹂躙の様相を,虐げられた人たちへの共感を持って,そしてこれを見過ごす私たちへの怒りをこめて,描き出す。
 ファーマーは本著で何度も繰り返す。暴力の犠牲者と暴力から守られている者は密接に関連すると。貧困を管理する従来のやり方(銃の数を増やし抑圧を強化する)は暴力と混乱を悪化させるだけであり,飢餓,病気,差別に有意義かつ持続的に取り組むべきであると。
 ファーマーは,解放の神学にシンパシーを抱いていることを隠さない。解放の神学の指導者たちは,貧しい人々の近くにおり,自分たち自身,人権を侵害され,ときに殺されることすらある。ファーマーも,まさに「他者の苦しみへの責任」に突き動かされ,貧しい人々のそばにいる。池澤夏樹が『他者の苦しみへの責任』の解説に書いてきるように,私たちは,聖人であるファーマーを真似ることはできない。しかし,少なくとも彼を知り,彼の言葉に耳を傾けることはできるはずだ。(良)
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