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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
杉田淳子・武藤正人編『アンソロジー お弁当。』パルコ出版 2013年

 大きな角型のアルマイトのお弁当箱の3分の2くらいびっしりしめられた白いごはん、真ん中にちょこんと梅干し、はじっこにたくわん2切れ。ちくわ等の茶色っぽいお煮しめなど普段のおかず。このお弁当箱を左手で持ち、右手でお箸をもつ。律儀に端からごはんを食べ始めている。気取りの一切ないお弁当、絶対美味しい。絶対飽きない。お弁当、そしてお弁当を持つ手を見ただけでも、この人はしっかり仕事をし、きちんと生活している人だと嬉しくなる。表紙だけで、速攻で買った。
 表紙から、お弁当にまつわる「ほんわか温かくなる、ちょっと涙したくなる」、そんなお話のアンソロジーがと思ったら…。確かに、予想通りのほのぼのする話もある。しかし、ほとんどは、そんな予定調和には留まらない。
 中でも、胸をつかれたのは、武田百合子、そして向田邦子。どちらも「お弁当」というそのままのタイトルだ。武田百合子は小学生のときのお弁当にまつわるエピソードを淡々と書いていく。そのまま淡々と、「4時間目の授業がはじまると、少し開けてある廊下側の引き戸窓から、ほつれた日本髪の青黄いろい顔をした女の人が、よく顔を覗けた」と書く。女郎屋さんの子どもにお弁当を届けにくるおいらんだ。先生の話すことが面白くて堪らない様子で、教室の中へ半身のり出して熱心に聴いている。みんながおかしがるところでは一緒になって声を出さずに笑う。洗い晒して模様のわからなくなった着物を、肩からずり落しそうに巻き付けている。細帯一つで、ふらふらと寝巻のまま起き出した病人のように見える若い女。なぜ細帯一つかというと、油揚げを焼いてくれるおばあさんから「逃げられないように、帯も締めさせないんだ」と教わる。武田は小学校を出て女学校へ通うようになり、停留所で時折男の人に連れられて出かけていく女郎さんたちを見かけた。そばの職人風の男が「ケンバイ、ケンバイ」と言う。それが「検黴」という字であり、何をされるか、もうわかった気がした。その女郎さんたちの中に、お弁当の女郎さんがいたので、おじぎをしたら、「その人は、こっちを向いたまま、がーっとあくびをした」。名も知れぬ女郎さんのことがしばし私の頭を離れない。
 向田は、「小学校の頃、お弁当の時間というのは、嫌でも、自分の家の貧富、家族の愛情というか、かまってもらっているかどうかを考えないわけにいかない時間だった」と、書く。ほのぼのしたお弁当のエピソードを期待していた私にはガツンとボディーブローを受けた気になる。ときどき、忘れた、とか、お腹が痛い、と、二つの理由を繰り返して、お弁当を持ってこない子もいた。その時間は、教室の外で、砂場で遊んでいたり、ボールを蹴ったりしていた。そんな元気もなく、羽目板に寄りかかって陽なたぼっこをしているときもあった。ほかの子も先生も、その子に自分の分を分けてやろうとはしなかった。薄情のようだが、それが正しかったと思う、恵まれて肩身の狭い思いをするより、運動場でボールを蹴っていた方がいい、と向田は書く。向田は、小学4年のとき、東京から鹿児島へ転校した。すぐ隣の席の陰気な子は、茶色っぽい見慣れない漬物だけのおかずを恥じるように、いつもふたを半分かぶせるようにして食べていた。その漬物は、鹿児島ではどのうちも自家製にしていた壺漬だった。ひと切れ分けてもらい、美味しさにびっくりした。その子が「うんと御馳走してあげる」というので、向田は、小学校からかなり距離のあるその子のうちへ行った。ちゃぶ台のほかには家具はない。4、5人の小さな弟や妹がいる。その子が台所の上げ蓋を持ち上げて、カメに手をかけたとき、働きから帰ってきた母親に頭の上から何をしていると大きな声で怒鳴られた。その子はびっくりするような大きな声で、向田がおいしいといったから連れてきたと言って泣き出す。帰ろうとする向田の襟髪をつかむようにして、母親はちゃぶ台の前に座らせ、丼いっぱいの壺漬をふるまった。感傷を排した記述なのに、貧困に苦しんでいたその子と母親が、向田から美味しいといわれたとき、どんなに深く喜びを感じたのだろうと涙があふれ出る。
 武田と向田の2人が稀有の書き手であることを再認識したが、その他も「こんな切り口があるか」「お見事」とそれぞれ堪能する。特に気に入ったのをあげると全部になってしまうが、中でも私の好みは、立原えりかの「母のいなりずし」、洲之内徹の「ほっかほっか弁当」、筒井ともみ「手のひらに抱かれた米」、中坊公平「シューマイ弁当 背負ったものを、切り落とし」、あたりか。池波正太郎「弁当(B)」、内田百閨u無塩の握り飯」はさらりと書いた文章にもユーモアや毒が効いていて文豪の巧みさを感じとる。
 白石公子の「姉のおにぎり」も印象に残る。白石は、「となりのトトロ」を観ていて、小学5年生の姉が握ってくれたおにぎりを思い出す。母が入院中で、小学1年生の学芸会のときに母が入院中で父も仕事で用意が出来なかったらしい。海苔でくるんだその上にたくさんのご飯粒がついていて、汚く、みすぼらしいおにぎりを、おそるおそる食べようとすると、指が食い込んでしまうくらいにやわらかい。塩気のしないごはんは生臭く、思いっきり不機嫌になってしまうほどおいしくなかった。白石は、その後何年も経ってから、「となりのトトロ」を観て、握ってくれた姉も母が入院していて心細かったのだと気づく。それでも幼い妹のためにお握りを握った姉の健気さを思い、私までハラハラと涙が止まらなくなる。
 随所におさめられたお弁当の写真もとてもいい。どれもこれも、気取った、頑張ったお弁当ではないが、家族のことを思って、あるいは自分でひそかに楽しく詰めた、毎日のお弁当だ。これまた大好きな本『おべんとうの時間』(木楽舎)の阿部了の写真である。こちらもまた手に取りたくなった。(良)
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