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秋山千佳著『ルポ 保健室 子どもの貧困・虐待・性のリアル』朝日新書 2016年

 保健室ほど、現代の子どもたちをとりまく問題を明瞭に見渡せる場所はない。各地の保健室に通って取材を重ねた著者は、本著で、予想を絶するような事情を抱える子どもたちの状況を丹念に描写するとともに、子どもたちの心身両面の健康をカバーしようと奮闘し、あるいは奮闘することが難しい養護教諭の姿を追う。
 子どもたちは、最初から自分の悩みを養護教諭にさらし出すわけではなく、「お腹が痛い」等と体調不良を訴えたり、あるいは雑談したりする。他愛のない雑談から、子どもたちのSOSのサインに気づき、必要であれば担任教諭と情報、意見を交換する。そんなことができる学校であれば、子どもたちは行きつ戻りつであっても、徐々に成長し、回復していく。もっとも、もの凄い苛酷な家庭環境に置かれた子どもの場合、養護教諭が支えようとしても、限界はあるのだが(しかし、支えようとしないよりはずっと救いとなる)。
 しかし、他の教師たちが「保健室はサボりの温床」ととらえ、気軽に保健室へ行くことを許さない学校では、子どもたちは「居場所」を見つけ出すことができず、不登校になってしまう。それはすなわち、学校という外部が虐待や貧困などのサインを気づき手を差し伸べることができなくなることを意味する。教師に受け止めてもらえず、保健室にも行くことを許されず、学校に来られなくなった子どもたちがいるある学校は、教師たちの学力向上への熱意が高く、学力調査の結果が優秀だとか…。その結果には不登校の子の存在は反映されていないという。学校は、勉強を学ぶだけの場ではなく、人間関係を構築し社会性を身につけ、自己肯定感を育んでいく場のはずだ。私も、著者とともに、「サボり」「ウソつき」とされ、学校から姿を消していく子どもたちがいる学校が、「優れた学校」だと評する気にはなれない。
 DVがあった両親の離婚後、痛手から回復しないまま面会交流を続け、リストカットして入院したこともある中学3年生の女子が、保健室登校を重ねて、他の子どもたちの様子などをみながら、「こうしなきゃ」から解放されていく。そうして、父との面会も「行かない」と宣言するようになる(第3章)。そのほか、個々の子どもたちの困難とその回復のプロセスを丹念に追ったストーリーのひとつひとつに涙する。回復や成長のプロセスに必要なのは、養護教諭が言葉で受け止め励ます、といった単純なものではない。わいわいと集まってくる他の子どもたちや教諭など様々なアクターたちとの日常的なかかわりも作用するのだ。養護教諭自身、一人で背負いこむより、スクールカウンセラーらと「チーム」で関わるほうがいい。ある養護教諭が「疲れてくると続かないから」と述懐するとおり、教諭も元気でなければやっていられない。
 LGBTへの関心は高まっているように思われるが、学校の現場ではまだまだ理解がされておらず、無神経な対応がされている。LGBTの子どもが壮絶ないじめにあっても、担任も「変わった子」ととらえ対処しようとしない場合がある。そうして苛酷な中学校生活を送った「寺田さん」は、偏見のない養護教諭の白澤章子先生が「よく打ち明けてくれたね。あなたはあなたのままでいいんだよ」と受け止めてくれたことで、自殺のイメージがよぎっても、「私は生きるんだ」と自らを鼓舞することができた。そうして、中学校を卒業し、現在は「女としてのベースがあっての男」と性自認し、現在社会人となった「寺田さん」は、今白澤先生が開いた「川中島の保健室」でコンサートを開いたりして、手伝っている。
 「川中島の保健室」とは、長野県の小中学校で40年間養護教諭を務め、定年退職した白澤先生が2009年に、学校の保健室のように、心身や性の悩みを無料で気軽に相談できる場所としてオープンしたものだ。年間でのべ640人ほどが利用し、全国から視察が絶えないこの場所を、「寺田さん」らは、「陽だまり」と表現する(第4章)。
 「陽だまり」のような安心できる保健室がどこの学校にも、地域にもあったらいい、としみじみ思う。とはいえ、養護教諭一人に「陽だまり」の機能を果たせというのは困難だ。貧困化を背景に、特にダブルワーク、トリプルワークが当たり前なひとり親家庭など、親子が顔を合わせる時間すらない場合もある。貧困は強いストレスにもなり、親が精神疾患を抱えていることもある。今の子どもの問題には何かしらインターネットが絡んでいるが、ネット上の問題に対処する自信が無い教員たちは少なくない。熱意のある養護教諭もいるが、そうでない養護教諭もいる。疲弊しきって限界寸前の養護教諭もいる。「自助努力」にゆだねていては、養護教諭の「アタリ」「ハズレ」、ばらつきが出てしまう。また、学歴等の点で養護教諭を軽視する「教師版スクールカースト」がある学校で、「いじめはいけない」と説いても説得力が無いし、子どものための情報共有をし働きかけを考えていくことができるはずがない(第5章)。
 困難を抱える子どもたちを学校がどのように支えられるか。養護教諭の個性や力量次第ではなく、どのような体制が望ましいかは、まだまだ検討途上にあるようだ。しかし、貧困や虐待、いじめなどに直面する子どもたちを支える場となりうる保健室に、その可能性を発揮する方策を探る手がかりが詰め込まれている本著は、文教政策の担当者を含め多くの人に読んでほしい一冊である。(良)
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