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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
佐野洋子『100万回生きたねこ』講談社 1977年

最近、初めて佐野洋子さんの絵本「100万回生きたねこ」を読んだ。
びっくりして、ずーっと考え続けている。
生きること、死ぬこと、命、自分、他者のことである。

100万回、生きた猫がいた。
100万年生き、100万人の人に飼われた。
王様、船乗り、サーカス、泥棒、子ども、高齢者などに飼われていた。
しかし、その猫は飼ってくれていた人たちなどが嫌いだった。
猫は死んで、飼ってくれていた人が、泣いても、その猫は泣かなかった。
自分のことだけ好きだった。
野良猫になって、白い猫を好きになって、子どもが生まれる。
白い猫が死んでしまって、100万回生きた猫は、100万回泣いて、死んでしまいました。
うーん。
ボーボワールの本に、「人はすべて死す」(岩波書店刊)というものがある。上下巻である。大学生のときに読んだ。
実存主義をストーリーにしたもの。永遠の命を持った男の物語である。永遠に死なない。周りの人たちが、愛する人たちが亡くなっても彼は死ねない。
段々彼は生きる屍となっていく。
人は死ぬ。
命は有限である。
だからこそ自由があるのだということである。
この本を「100万回生きたねこ」を読んで思い出した。
死ぬのは嫌だ。
永遠に生きたい。
しかし、そのことはどういう意味を持つのか。
ねこはなぜ今まで死ななかったのか。
生きていなかったからではないか。
自分のことしか好きではなく、誰も愛さなかった。
誰も愛さなかったから、未練も、何の感情もなく、悲しくもない。
関係ない。
ねこは、生まれて初めて自分以外のものを愛した、白い猫であり、子どもたちだ。
生きたのだ。生まれて初めて生きたのである。
自分以外のものを愛するということが生きること。
初めてこの世で、関係性ができた。
思いが初めて誕生したのである。
生きていなかったので、死ななかったのである。
生きるとはなにか。
自分以外の愛するものと生きること。
愛すること。
命は有限だが、だからこそ生きる価値がある。

佐野洋子さんの「死ぬ気まんまん」という本を読んだことがある。
死ぬことが、悲惨で、何がなんでも避けることという扱いではなかった。
「100万回生きたねこ」に通ずるものがあるのではないか。
死ぬのは嫌だ。
永遠に生きていきたい。
でも死ぬからこそ生きていることが光り輝く。
より良く生きていきたいと強く思う。
繰り返し、繰り返しこの絵本の中身を考えている。(福島瑞穂)
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