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飯島裕子著『ルポ貧困女子』岩波新書 2016年

 2011年12月朝日新聞一面トップに「単身女性、3人に1人が貧困」という記事が掲載された。離婚するか、しないか。暴力をふるわれる今の生活は耐えられないが、離婚して暮らしを立てられる自信がない。そんな相談者を前に、「なんとかなりますよ。暴力なんかに甘んじてなくていいんですよ」と元気づけたいものの、その後の生活の厳しさを予感して口ごもる。そんな経験を多数してきた弁護士である私にとって、朝日新聞の記事は全く違和感がなかった。ところが、この記事は当時かなりインパクトが大きかった。女性の貧困や雇用問題は、正面から取り上げられたことがない、「目新しい」問題だったからだ。メディアが雇用状況の悪化や貧困を取り上げる際、専ら若い男性たちが登場してきた。「将来主として家族を養わなければならない彼らにまともな仕事がない」のであれば、大問題!と社会は認識する。しかし、男性より女性の非正規雇用の比率の方がぐんと高い。正規雇用においても、男女の賃金格差は大きい。それなのに、女性たちは注目されてこなかった。本著は、自分自身、30代、女性、フリーランスという不安定かつシングルの身の上の著者が、自分もいつ貧困に陥るかわからないという切迫感を抱きつつ、10代後半から40代までのシングル女性に取材を重ね、女性たちの貧困が「見えづらい」女性たちの貧困や労働の問題を「見える」ものにした労作である。
 インタビュー対象の女性たちは、だれもが必死に仕事、それも正社員の仕事を探す。しかし、なかなか正社員にはなれない。正社員になっても、パワハラを受け病気になり退職したり、リストラを受けたりする。そして、「一度非正規になると簡単には正社員に戻れない」。実家に依存せざるを得ないが、親は金を入れろと厳しく言い、厳しく干渉する。親との関係に悩み、病んでいくが、自立するのも不安な女性。
 長年、父親から暴力(性的虐待の場合もある)をふるわれ、逃げ出したものの、ホームレスとなった女性たちもいる。なお、女性たちの「ホームレス」もわかりにくい。家に居場所がなく、夜の街に出て援助交際をする。彼氏のもとへ転がり込んだものの、暴力をふるわれる。派手なメイクやネイルをしていたら、一見「貧困」とは無縁と思われがちだ。しかし、「関係性の貧困」の埋め合わせを求めるこころの隙間に入り込む「優しい」男たちに傷つき、自傷行為に走ったり心を病んでしまうことがある。
 虐待や干渉をしない親であってもいつしか老いる。介護が必要になったり、死に至る。あっという間に依存するどころか依存されることになるが、依存されるほどの資力はなく、たちまちだれもが生活を成り立たせることができなくなる。
 インタビューを受ける女性立ちはそれぞれ既に頑張っている。しかし、非正規でしか働けない、親元から自立できないといった状況を、「自己責任」と感じ、外部に助けを求めようとしない。入ることができた企業内で、パワハラやイジメを受ける。成果主義や不景気でゆとりのない職場環境など、個人に起因しない背景があるのだが、女性たちの多くは、「仕事の覚えが悪いからイジメられる」、「体力の無い自分に非がある」と「自己責任」に帰結してしまいがちなのだ。
 正社員に採用されたが給料がでるのは1か月先。それまで支払わなければいけない家賃をどうするか。ある女性はそんな時に目に止まったデリヘルの仕事を始める。ちょっとでも大変なことがあると、スタッフに気遣ってもらえる。そうしたことは他の職場になく、素直にうれしかったといいながら、心身のバランスを崩し、デリヘルを辞める。デリヘルで男の本性をいやというほど見たので、男への嫌悪感は強い。しかし、病気になった際もスタッフは親切だった、今でも当時のほうが恵まれていた、戻りたくなるときがあると述懐する女性の話を聞きながら、風俗産業のスタッフが女性に対して非常に親切なのは「下心」があればこそだと著者は思う。しかし、やさしさが女性たちの心をとらえ、セーフティネットになっていることは、紛れもない事実であるとも著者は認める。
 安倍政権のもと、「女性の活躍支援」が「成長戦略の柱」とされ、女性が働き、子を産み、育てやすい環境を整える政策が一応志向されている。しかし、子育て支援として、「三世代同居の推進」など立法事実が疑わしい政策が推進されたり、「少子化対策」として「婚活」支援がなされている。非婚のまま子どもを産み育てる人や、結婚はするが子どもはいらない人など多様性を無視したスローガンのもと、女性たちは婚活、妊活プレッシャーにさらされる。少子化対策でなぜ婚活支援が真っ先に出てくるのか。シングルでの出産子育てを支援することこそ、直接的ではないか。実際、本著では、「タイムリミット」を意識して妊活、無事ひとりで子どもを産んだ女性にも取材している。彼女はフリーランスで、貯金ゼロ。被雇用者でないがゆえ、育児給付金を受け取れない。社会保険料の支払いの免除等の被雇用者のメリットもない。ひとり親への支援は未だに手薄である。
 ある程度までは父親に、ある年齢に達したら夫に包摂されるべきという価値観は未だ根強い。価値観であるだけでなく、配偶者控除などにみられるように、一定の家族のありかたを優遇する制度が未だにある。ライフスタイルに中立的な方向へ前進するどころか、三世代同居の場合の税制上の軽減措置が創設されてしまう等、逆行している。家族は女性にとっては諸刃の剣であるというのに。家族に依存せざるを得ない状況では、過干渉や拘束に抗することができないのだ。もっとも、格差の拡大と貧困の拡がりにより、父親のスネもすでになくなっていたり、夫の片働きでは到底家計を成り立たせることができない状況にある。
 女性には多様な選択肢があるかのように言われることがあるが、くせ者だ、と著者はいう。結婚するか、専業主婦になるか、子どもを持つか、パートタイマーかフルタイムか。これらの選択肢があることで柔軟な選択が可能で気楽でいられる、というのは、まやかしである。多様な選択肢といいながら結婚を前提とした意識を捨て、世帯主という意識を持とう。意識だけではなく、制度的にも、税や社会保障など、世帯単位のものを個人単位に変えていく。そもそも女性の貧困がみえにくかったのは、この世帯単位のとらえかたによる。個人単位として女性の状況それ自体を可視化することは、女性が直面する問題点を認識しやすくすることになる。
 著しく困難な状況に置かれながら、努力が足りない等と自分を責め続ける女性たちを、国は放置しないでほしい。女性活躍推進の名の下、女性たちの分断が広がる。空気のように漂う生きづらさにまず気づいてもらいたい。可視化させたい。その生きづらさを実感している著者だからこそ、女性たちの声を深く聴き取り、それが決して「自己責任」と切り捨てられないものであることを明らかにしえた。誰ひとり生きづらさを感じない社会を目指すことをあきらめてはならない、という結びの言葉に、発奮させられる。(良)
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