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落合由利子・北川直美・室田元美『1945←2015 若者から若者への手紙』ころから 2015年

 戦後70年。戦争時平均年齢18.5歳のかつての若者たちひとりひとりの戦争証言を読んだ現在の若者たち(平均年齢22.4歳)が手紙を書く。
 かつて10代、20代だったひとたちの経験は様々だ。丁寧に聴きとられたひとつひとつの言葉は痛々しく、生々しい。たとえば、21歳で東京大空襲を経験した女性が呟く、音の記憶はないが、臭いの記憶ははっきりと覚えている、戦後しばらく鰯は食べられなかった、といったこと。この女性は、東京大空襲で父と姉を亡くし、なぜ助けられなかったと長い間心の傷を負ったという。阪神大震災後PTSD等メンタル面の治療の必要性が認識されたが、当時は心のケアも何もなかった。被災者たちの苛酷な経験を思わずにはいられない。東京大空襲の被害者遺族として国に謝罪と補償を求めた訴訟の原告にもなったが、斥けられた。なぜ民間人には何の補償もないのか。裁判所は、受忍論をとり、国の勝手な戦争遂行のもとひとりひとりの命が奪われることになっても、国は何も責任をとらなくていいとしてしまった。個人の尊厳を何よりも価値とする憲法のもとでも、このような理屈が許されたことが哀しい。
 沖縄の学徒看護隊に従軍した女性(敗戦時19歳)も、「壕の中の臭い(尿、血)は一生忘れられない」という。砲弾が飛び交う中水を汲んだり、ウジ虫がわいた死体を穴の中に捨てに行くことまでさせられた。反発したら、殺されるという恐怖心があるから、何でもしたという。医療品も食品もない極限状態。負傷兵に何らの手当もできず、ただバタバタ死んでいくまま。しかし「極限状態」でも格差はあった。壕の入り口で軍医は階級を尋ね、「偉い人」には手術をし、沖縄の一般人から召集した非正規の部隊の人には知らん顔をした。目撃し実感した「沖縄への差別」が「ずっと頭の中にある」と言う言葉も、重い。
 長崎に投下された原爆により、次々と目の前で死んでいく姉妹すべて(姉1人妹2人弟2人)をなすすべもなく見送ることになった女性(当時12歳)の喪失感も想像を絶する。寝たきりになった両親を15歳にして支え、生活に困窮した。既に敗戦した後の19日、姉は敗戦を知らず、よろよろと立ちあがって天皇陛下万歳と言って倒れ込んでもう起きることはなかったそうだ。「死ぬときは、天皇陛下万歳と言うんだよ」と教えられた14歳の臨終のふるまいに、「教育の成果」と無邪気に褒めたたえる人などいない、誰もが痛いほどの悲しみをおぼえる、と思いたい。
 戦況も知らされずニューギニアに上陸させられた男性(敗戦時23歳)は、「若い人たちよ、二度とだまされるな」と呼びかける。だまされた、とわかったのは戦後。日本からの食べ物の補給もなくつねにジャングルをうろつき食べ物をあさっていた。わざわざ「人肉を食べたものは銃殺刑に処す」という軍命令があった。逆に言えばそれが必要なほど極限の飢餓状態に苦しんでいたということだ。ニューギニアに配属された約15万人中約13万人が死亡。約、という数字がまた、人の尊厳などなかったことを感じさせる。極限の飢え、マラリアなど病気による。そのほかの証言からもそうだが、この男性からの苛酷な証言は読むこと自体が辛いが、当時の日本という国がいかに一人一人の命を軽んじていたのかをまざまざと悟ることになる。
 「被害者」ばかりではなく、「加害者」からの証言もある。たとえば、中国で一般人の殺りくもした男性(敗戦時22歳)の証言。なお、「加害者」「被害者」は相対的だ。彼は上官から殴られ続け、シベリア抑留の際は、強制労働に従事させられた。「敵」の命を軽々しく扱うと、「自分」の命も軽くなる。シベリア抑留の間、仲間たちがバタバタ死んでも、「また死んじゃったよ」と気にもせず、物置の中に「材木」のように5段、6段と積み上げ、「ホウキとかと一緒に」していた、という。中国の寛大政策のおかげで戦犯管理所から日本に帰国できることになった。そのとき反省したつもりだったが、本当に反省したのは自分の娘の笑顔をみたときだ、という。そのときに中国で仲間たちと殺した女の人を追って井戸に飛びこんだ子どものことを思い出し、申し訳ないと心から思った、と。大切な存在を見い出したことによって、他者の尊厳を損なったことの重みを悟ることができたのだ。
 15歳で七三一部隊少年隊員に志願した少年(敗戦時21歳)は、「人の命を奪うことなのに、気楽な感じで。『マルタ』っていうことで、彼らを人間として見ていなかった」と語る。やはり他者を尊厳ある存在としてみなさないことで、「悪魔の部隊」の人体実験、殺害が遂行されたのだ。自分は「ロボット」化していた、判断ができなくなっていた、という。他者を非人間化する自分自身が非人間化を余儀無くされる、ということだろう。
 そのほかの証言すべてを引用したいほどだ。
 読み、手紙を書いた若者たちはそれぞれ問題意識があり、誠実である。しかし、私は、広島の被爆者の語り部に「死に損ない」と暴言を吐いた中学生たちを思い出す。語り部の方はその後「上から目線に思えたのではないか」と諸々の工夫を始めたという(頭が下がる)。彼らも、一対一で、証言者に向き合うとなったら、感じ取れるもがあるのではないか。戦争経験は、「退屈な説教話」ではない。「お年寄りの自慢話、お涙ちょうだい話」ではない。当時の、まさに自分と同じ年頃の子ども、若者が、こんなにも苛酷な経験をした、と具体的に実感すれば、反応は違うのではないか、この誠実な若者たち同様の手紙を書けるのではないか。涙を流しながら読了し、戦争体験を将来にも伝えていく希望も見い出せた書である。(良)
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