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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
佐々木美智子 岩本茂之『新宿、わたしの解放区』寿郎社 2012年

 新宿ゴールデン街のBarむささび等を経営してきた女性の目を通した現代史。伝説的なバーの「ママ」の口から、著名人の裏の顔といったネタが続々飛び出すのかな…。などと、下世話な好奇心で読みだしたが、しまいにのめりこみ、深い感動にうたれながら読了した。
 北海道の最東端の漁師町根室で1934年に生まれた佐々木美智子さん…おみっちゃん。自宅に近所の大人も子どもも大勢集まってかるた大会をするなど、戦争が始まる前の束の間の幸せな時代があった。ところが、一番上の優しい長兄が徴兵され、上官にリンチを受けて死んでしまう。明るかった母が物も言わなくなってしまい、家族が一変して暗くなってしまう。
 暗くなった家庭から出たくて、都会育ちのサラリーマンと結婚。でも、平和で幸せな毎日に人生を考えてしまい、離婚して、キャバレーで事務をする。見かねた母がなんとか工面したお金を渡し、美容師になれと東京へ行かせてくれた。しかし、美容学校の入学式で聞いた校長の話に納得がいかず、式が終わると即退学。やくざから屋台を借りて、新宿でおでん屋を始める。時にはやくざに嫌がらせをされながらもなんとか常連客もつく。このころから、おみっちゃんの周囲には「優しいひと」が多く、互いに助け合う。バタ屋のおじさん、靴磨きのお兄さん、街娼。社会からまともじゃないといわれる人たちばかりがそばにいて、助けてくれた。
 おでん屋の客だった日活の人から誘われて、日活の編集部に入る。気配りができる裕次郎は「人気絶大」だったとか。その後、写真家を目指し、報道写真家の養成学校へ入る。学生運動や三里塚闘争を撮影に行くが、意識としては「記録者」ではなく、「闘う人間のつもり」だった。「証拠写真」にならないように、羽田空港闘争デモなどでは、あまり写真を撮らなかったことも。学生と間違えられて、機動隊によく殴られ、逮捕されたこともある。日大全共闘にのめりこんで、お金を稼ぐことができず、新宿ゴールデン街のバラック長屋で小さなバー「むささび」をはじめる。3坪の狭さだけれども、15人くらい入れる「解放区」、学生も、作家も、俳優たちも、常連がたくさん。儲からないが楽しかった。
 日大全共闘の議長秋田明大との日々には一章割かれる。演壇に立つ秋田を撮影した際、「銀色の糸」が見えた。あれが「赤い糸」であったら、添い遂げたかもしれない、と今では笑っているが、結局別れることになった秋田との一章は、行間からおみっちゃんの万感の思いがにじみ出ている。
 その後、パラオの遺骨収集団に参加し、「右翼的」と言われたこともあるが、おみっちゃんには、戦争で亡くなった人を弔うのは右翼も左翼もない。そこで知り合ったインテリやくざのお店を借りて高級クラブ「ゴールデンゲート」を始める。これまた著名人も来るが、誰も特別扱いはしない「解放区」だった。
 ゴールデンゲートをたたんで、スペインへ旅行、その後肌にあったブラジルのアマゾンでバーを経営。儲かっているとマフィアに突然銃弾を撃ち込まれ、銃撃戦になったこともある。そんな話が、「すごい経験しているでしょ」という冒険譚としてというよりも、さらりと思い出話として続々語られる。そしてふと述懐する。霧がかかっている根室に帰ってみて、「これが私が恐れていた空気だ」とわかる。その絶望感から逃れようとしていた。弱くて、逃げたかった。でも、ブラジルでいろいろな人と出会って、変われた。ブラジル人は面白い。銃撃戦をやったひとが、一週間もしないでお店にくる。そんなブラジルで、ようやく、おみっちゃんは変われたという。そしてそのブラジルのために何かしたいと一時帰国し、沢木耕太郎から蔵書を提供されて、日系人のための図書館をつくる。
 今は帰国して、大島在住。「80歳で結婚して、お店やりたい」。今日も「おはようミチコ」って鏡の中の老いた女に笑って話しかける。そして「今日も忙しいぞ」。もう、根室に帰ってもいいな、海の幸もおいしいし。重い「霧の壁」が怖かったおみっちゃん、長い歳月を経て、「やっと少し強くなった」。戦争の狂気の中、優しい兄が殺され、幸せな子ども時代が一変してしまった、その重みが薄らぐのは、こんなに長い歳月が必要だったのだ。
 おみっちゃんは、とことん優しい。学生運動が盛んなとき、「カメラをゲバ棒に」(おみっちゃんは写真家でもある)、学生たちとともにいた。負けていく側に身を置きはするが、それでも、とんがらない。どんなひとでも、受け入れた。右翼でも、なんでも。この偏りのなさは、頭で考えた信念からではない。ひとつの考えしか許されず「日本人全体が操り人形みたいだった」戦争中を実感しているから、そしてそれが、長兄の死など徹底的なダメージをもたらすことを肌で知っているからこそ、どんなひとでも排除せず、受け入れることができたのだろう。
 それは、別れることになった幾人ものパートナーたちにも同様。どの相手についても、恨み節ひとつなく、「いい人だった」と。DVがひどく「殺される」と思って警察に頼んで家から出してもらうことになった、ブラジルのアマゾンで一緒だった男性に対してすら、「憎んだり嫌いだったりしたわけじゃなかったからとても悲しかった」と言う。
 優しくて、そしていつまでもすれていないおみっちゃん。やくざの親分に女になれと申し出を断り、いやがらせにも負けない勇気がある一方、住み込みの家の洋式トイレの使い方がわからず、駅で済ませていたとか、とってもキュートなひとに、惹かれてしまう。逆に、そんなおみっちゃんに対して、甘えすぎる人たちには、ちっと舌打ちしたくなるときも。疲れたおみっちゃんが家に帰るのに、ぞろぞろお店からついていって、おみっちゃんの部屋で飲み続けるひとたちなど。でも、おみっちゃんは迷惑がらずに、「楽しかった」「いい人たちだった」と笑う。
 とにかく魅力的なひと。おみっちゃんの写真集『日大全共闘』(鹿砦社、2009年)も早速入手した。客観的な報道写真ではなく、全共闘の当事者に寄り添った写真の数々。こちらにもひきこまれる。(良)
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