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林香里『<オンナ・コドモ>のジャーナリズム』岩波書店 2011年

 タイトルから、つい「カワイイ」ものなどがどうマスコミに取り上げられているか分析しているのか?などと想像してしまった。我ながら恥ずかしいほどベタなジェンダーバイアス…。中身、スタイルは全く硬派で、ジェンダーバイアスな言葉でいえば、「男前」な書きぶりだ。
 まず、長らく「ジャーナリズム」の王道と考えられてきたジャーナリズム(「オトコ」側のジャーナリズム)と、言論の自由及び民主主義との関係について考察される。「オトコのジャーナリズム」は、西欧近代市民革命という歴史上にその正統性の所在を固めて現在に至っていること、しかし、それがマスメディアという産業と一体化し、社会が大衆化、グローバル化、情報化するにつれて大きな矛盾に直面していることが指摘される。ジャーナリズムの根幹であった言論・表現の自由は、政府権力及び社会の様々な利害からの独立と自律をモットーとする近代自由主義と民主主義の核心的理念であった。しかし、ジャーナリズムの独立という理念は、社会変動、そして人間相互が必要とするケアの関係の上で築き上げられる認識のセンシビリティの陶冶を阻んできた。
 しかし、主流ジャーナリズムとは異なったジャーナリズムの歴史も長い。現在、オルタナティブのジャーナリズムはネットの普及等とともに急速に進展している。他者とのコミュニケーション、共感を志向するそのようなジャーナリズムを、本著は、「<オンナ・コドモ>のジャーナリズム」と名付け、グローバル、情報化社会での役割を考察する。生物学的な男女の性別や、成長段階としての大人子どもの別を示しているのではなく、社会的な多様性を示す象徴的言葉だという。しかし、このようなレッテル貼り、唐突感がある。著者自身、「書きながら読者のけしからんというお怒りの気配を感じている」という。批判を覚悟で書いたのは、オンナ・コドモのジャーナリズムがオトコのジャーナリズムの陰に隠れてしまい、名もなく価値を認められずに育ってきたことを改めて書きとめて、存在の重さを確認しておきたかったからだというが、それなら本流とオルタナティブとかそういう言葉でもいいような気がする。このオンナ・コドモという言葉が妙に浮いているのが惜しい。とはいえ、私もこのタイトルでなければ手に取らなかったのだが…。
 その他、今日のメディア社会の現実にも踏み込み、メディア産業の非典型雇用(フリーランス)の苛酷な現状を概観した上、ドイツや英国の組合や職業団体が「プロフェッショナルか労働者か」というイデオロギー論争で分裂や闘争を繰り返しつつも、フリー部門を強化し、フリーの即戦力のための教育プログラムを提供してきたことなどが紹介される。シリアで銃弾に斃れた山本美香さんのコメントが、フリーランスのジャーナリストの苛酷な労働条件の描写に紹介されているのが、はっと胸をつかれる。
 マスメディア・ジャーナリズムには、自らに託された世論形成力と社会的影響力を考えれば、民主主義理論のイノベーションとともに、現状を見直す責任があるのではないか。マイナーなジャーナリズムとメジャーなジャーナリズムという二極分解してしまった言論・表現の世界への反省と、双方の再結合の試みへの展望が開けないか。まだまだ著者の検討は続きそうで、今後も楽しみである。(良)
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