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津村節子「紅梅」文芸春秋 2011年

 闘病中だった小説家・吉村昭が自ら生命維持の点滴とカテーテルの管を引き抜き、亡くなったというニュースに接したとき、ショックを受けた。実弟の激痛に耐える病院での生活を克明につづった小説を読んだことがあり(病名を本人に告知しなかった辛さも緻密に描かれていて読んでいて息が詰まる思いだった)、また吉村自身が若いときに結核をわずらい大きな手術を経験していたことを知っていたから、そんな彼が自ら死を選んだことは、想像を絶するものがあったに違いない…
 吉村の妻も小説家である。津村節子である。その津村が吉村が発病してから死までの苦しみと痛みの連続の1年を描いたのが「紅梅」である。小説にするまで4年の月日が必要だった。
 一家に物書きが2人いるという生活はさぞお互いに神経を使ったことだろうと思うが、その中で子ども2人が育ち、息子夫婦も娘夫婦も近くに住み、お手伝いさん2人と夫婦だけの生活はそれなりに落ち着いたものになっていた。そこに突然の発病。吉村は両親も弟もガンで亡くなっているから、非常に用心深く、妻が笑うくらい検査をまじめに受けていた。しかし、逃れることはできなかった。吉村は絶対に病気を他人に知らせまいとした。体が弱っていることを近所の人に知られないようにタクシーも手前でおりるくらいに慎重である。娘息子に知らせるのもかなり時間が経ってからである。それでいて、遺言に家族葬とすること、死は3日伏せることなど細かい配慮をしている。だれにも余分な負担をさせないこと、自分の始末は自分でつけるという頑固なまでの美学を感じた。それは最後の場面にも壮絶に現れる。死の直前、妻(小説の中では育子)、背中をさすっていると、残る力を振り絞って身体を半回転させ、頭が完全に北枕になるように姿勢を変えたというのだ。
 育子はこれを夫が自分を拒否したのだと感じる。「情の薄い妻に絶望して死んだのである。育子はこの責めを、死ぬまで背負っていくのだ。」という叙述がある。また、夫が最後に妻ではなく息子になにかをささやく。それを育子は夫は「小説を書くなんてヤメロヤメロと言っていたのではないだろうか」と思う。その前にも入院中の夫が眠っている間に帰宅したのを、夫が「育子、寝ているうちに帰る」と日記に書いてあるのを読んで、どうして死の迫っている夫の傍に寝なかったのだろうと、と後悔にさいなまれる。
 看病をいくらしても残されたものに悔やんでも悔やみきれないものが残る。しかし、この津村の叙述にはそれ以上のものを感じる。妻の役割より小説家であることを選んだ自分に悔いがあるのだろうか。いつもその葛藤に悩んでいたのか。夫との間にもそのことをめぐって確執があったのだろうか。
 吉村が自ら北枕に姿勢を変えたのは妻を拒否したのではなく、最後まで自分にケリをつけるのは自分という吉村の潔さを感じるのは、私が他人だからだろうか。最後の自己決定を「さすが、わが夫」と思えないものだろうか。と、最後の3ページにひどく躓いてしまった。(巳)
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