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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
ローラン・ビネ著 高橋啓訳『HHhH−プラハ、1942年』東京創元社 2013年

 圧倒された。
 1942年プラハで「ユダヤ人問題の最終解決」すなわちユダヤ人虐殺の発案者・責任者であり「金髪の野獣」と呼ばれたナチスの高官ハイドリヒが暗殺された。この暗殺事件をテーマにした本著を読みだす際は、ホロコースト関連の他の本と同様、重苦しい気持ちで、しかし向き合わなければという問題意識に引っ張られてようやく渋々と頁をめくりだした。しかし、読み始めると(重苦しいままとはいえ)一気に読まずにはいられなくなり、中断するのが惜しいほどだ。
 歴史を記述するとは。小説を書くとは。過去と現在、ハイドリヒの視点、実行したチェコ人のヤン・クビシュとスロバキア人のヨゼフ・ガブチークの視点(そしてその他同時代を生きた多数の人々の視点)を多数行き来しながら、「僕」は考え抜く。
 「僕」は、ガブチークとその仲間たちを「人類史上もっとも偉大な抵抗運動を企てた人々」とたたえ、オマージュを捧げようと思っていた。しかし、自分が思い描く彼の姿を紙の上に記すことが、オマージュになるのか、定かではない―。この冒頭のためらいをずっと抱えながら、書き進めていく。そして読者がストーリーにのめりこんでいこうとする瞬間に、或いは、読み飛ばしていこうとする細部に、果てしなく突っ込みが入る。たとえば、淡々とカブチークがもう二度と目にすることはないスロバキアの町を離れるシーンを読み終えた…と思うとすかさず、「この場面も、その前の場面も、いかにもそれらしいが、まったくのフィクションだ。ずっと前に死んでしまって、もう自己弁護も出来ない人を操り人形のように動かすことほど破廉恥なことがあるだろうか!彼はもっぱらコーヒーしか飲まない男であるかもしれないのにお茶を飲ませたり、コート一着しか着ていなかったかもしれないのに二着重ね着させたり、汽車に乗ったかもしれないのにバスに乗せたり、朝ではなく、夜に発つ決心をさせたりとか。僕は恥ずかしい」。恋人ナターシャからも容赦なく突っ込みが入る。「あなたにはとても書けそうにないわね!」あるいは「よくもそんなこと書けるわね!」と。
 いい加減な扱いをしまいと資料を収集し、ごくごく細かい事実を書き留めても、しかし裏付けがあることだけを記述することはできない。資料をたくさん集めても、信ぴょう性も疑わしい。例えば、ハイドリヒのあるときの会話には証人がいる。しかし、彼らしくない、間抜けな発言だ。直接の当事者の証言よりも、ずっと「僕」のほうがいきいきリアルにその会話を再現できる、と自負しながらも、結局、当事者の証言を選んだ方がいいのだろう。といった具合に、記述の際の逡巡をそのまま書き連ねる。
 そして、ハイドリヒ暗殺事件と関係のない事件で、本来この小説で書かれるべきではない、と認めながらも、語り手に無制限に自由が与えられていることこそ、小説というジャンルの利点だとして、心を揺さぶるようなエピソードを多数盛り込む。たとえば1942年ナチの統治下にあったウクライナでにわか作りのサッカーチームがドイツの選手に勝ち、屈辱を受けたドイツがベルリンから呼び寄せたプロの選手にもあろうことか勝った、「命がけの試合」(その後選手たちは銃撃されたり、逮捕されたり、処刑された…)。「僕」は、これを語ることなく、キエフについて語りたくなかったのだ、として、語る。
 イギリスにありナチの信じがたい虐殺行為を知りながらも連合国の冷ややかな態度に接していた亡命政府が、チェコスロバキアとして毅然とした行動を示そうとして、計画した類人猿作戦。作戦遂行者として選ばれたパラシュート部隊員は、予定の位置からはるか遠くに降り立った。その上、ガブチークは骨折までしてしまった。彼らを、危険を承知で助けた何人もの人たちがいる。住まわせてあげた家族たちの名前が列挙される。それぞれの家族の、ひとりひとりに物語がある。レジスタンスのリレーに加わったことで、収容所に送られたり、或いは悲劇的な密告に至ったり…。名前の羅列に意味があるのか?書いたところで、みな忘却される。そもそも、死者たちは、今更敬意を払われても、全く役に立たない。それはわかっている。しかし、歴史という墓地に眠るヒーローたちに思いを馳せたい。記録は、思いを馳せる人にとっては、奮い立つものなのだ。実際に存在した人たちを想い、だからこそ、歴史の壁にぶちあたりながらも、書かずにはいられない著者の思いにうたれる。
 暗殺のあと、「2008年」のパリの現在時として小刻みに記述されるパラシュート部隊員たちが追い詰められていくところは、本を持つ手が震えるほどの緊迫感がある。
 優れた小説論、歴史論でありながら、暗殺事件の英雄たちだけではなく、歴史に名を残すことがなかった犠牲者たち一人一人を悼むオマージュとして、胸を震わせられる。本著は、日本でも非常に話題になった。私の手元にあるものは、2013年9月(出版は6月)の段階で5版である。何だかとてもほっとする。(良)
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