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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
阿川佐和子ほか著『アンソロジー カレーライス!!』株式会社パルコ 2013年

 続編の『アンソロジー お弁当。』にはノックアウトされたので、本著もいかにと期待をふくらませて読んだ。悪くない。
 ほぼ、「美味しくないカレー」、いや「美味しくないライスカレー」自慢である。グルマンは皆無。口々に、懐かしい、美味しくない、手作りのライスカレーについて郷愁をもって語る。カレーライスはこうこうで、ライスカレーはこうだ、とそれぞれ定義も違うが、懐かしいのは、ライスカレー、と言い張るものが多い。再現できない、まずウマなあのライスカレー…。シャビーであればあるほど、目を細めて語られる。
 「母がつくるライスカレーは、大きな鍋へ湯をわかし、これへ豚肉の細切れやにんじん、じゃがいも、たまねぎなどをぶちこみ、煮あがったところへ、カレー粉とメリケン粉を入れてかきまわし、これを御飯の上へたっぷりかける、というものであって、それでも母が、『今夜は、ライスカレーだよ』というと、私の眼の色が変わったものである」(池波正太郎先生にごちそうになったカレーの思い出には泣かされる…)
 「私はいまも祖母の作ってくれたものをライスカレーと呼び、他はカレーライスと呼んで、きびしく両者を区別している」(井上靖)
 「食物は、なつかしさが第一、味は二の次」(古山高麗雄)は、ほかの随筆にも共通する至言である。滝田ゆうのエッセイ中に紹介される、とある大ホテルの料理長が、本人自身の好きな食べ物を問われた際の「好きなのはカレーライスね。それのちょっとまずいやつ」も同様。「関西人と食べものの話をするのはあじけない。どこかで話がくいちがってしまう。つまり、私にとっては、食べものというものはそんなにうまくなくてもいいのだ、というあたりの心持ちを理解してもらえないのだ。このへんが肝腎なところである」(山口瞳)も然り。
 たかがカレーの材料を購入する際、自意識過剰に恥ずかしさ(レジの人に、「なんだこいつカレー食うのか、はは」と思われるのが恥ずかしい)で狂いそうになる男の内心を、太宰治の小説までひっぱって語る町田康のエッセイもいい。「肝臓赤信号 血圧赤信号 中性脂肪赤信号 コレステロール赤信号 いいのは胃腸だけ。」と色川武大に語った医者が悪気なく医学にのっとって冷奴も納豆も醤油をつけるななどと指導することから始まる「紙のようなカレーの夢」も素晴らしい。最後のしめに収められたのもわかる。
 意外だったのは、子どものころ『父の詫び状』を読んだときは特に問題意識を感じず、むしろ昭和の庶民の記憶として違和感なく読みこんだはずの向田邦子のエッセイに、なんだこれは…と思ったことだ。さすが随筆の達人、読ませるのであるが、しかし、その内容は…。「これは虐待とDVではないか!?」とついDV離婚事件を扱う弁護士という仕事柄、センサーが働いてしまう。カレーを食べる際も特別扱いされることに固執する向田の父のみ水が用意され、子どもと妻は水を飲まない。毎晩夕食は女房子どもへの「訓戒の場」、晩酌で酔い、カレーで真っ赤になった父は叱言を言い続けながら、紅しょうがをのせろ、汗を拭け、と母をこき使う。母の前のカレーが冷えて皮膜をかぶり、しわが寄るのが子ども心に悲しい。子どもたちはお匙が皿に当って音をたてないように注意しいしい食べた…。向田の手にかかれば、食卓の緊張感がリアルにわかる。「レトロな昭和の家庭〜」とのんびり読んでいた子どものころが信じられない…。
 しかし、『アンソロジー お弁当。』のほうが、切なさ、懐かしさ、嬉しさ…ぐっとくるものが多かったように思う(本著の中では、一番はじめの池波正太郎の随筆が一番ぐっとくるがそのほかはシャビー自慢にくすりとほほ笑むという感じ)。カレーは様々な工夫が可能なものとはいえ、やはり単品料理ということで、お弁当より単調に傾くのだろうか(こじつけ気味か)。(良)
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