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三浦まり『私たちの声を議会へ 代表制民主主義の再生』岩波現代選書 2015年

 私たちの声が、議会に届いていない。政策に反映されていない。
 3.11以降、私たちはそのことに気づいた。今年(2015年)の安保関連法制の強行採決(があったかも不明)その他の出来事から、私たちはいよいよ代表制民主主義の機能不全を悟ることになった。深刻な事態にぼう然…としてはいられない。でもどうしたら民主主義を立て直せるのか。焦るばかりでいたところ、おお…。本書のタイトルだけで救いを見い出す。
 本書は、代表制民主主義を立て直すには、「競争」「参加」「多様性」が確保される必要があるとする。
 そもそも代表制を通じての政治参加は充分に民主的なものであるといえるのだろうか。「私たち」と言ってはみたが、そもそも代表される人びととは誰なのか。国民国家を前提とする「国民」でも、ブルジョワジーを想起させる「市民」でも、「有権者」でも不足がある。社会の多様性を無視せず、共生する外国籍や無国籍の人びと、生まれていない次世代の人びとのことも考慮に入れるならば、それらの言葉は限定的すぎる。英語ではpeopleという的確な言葉があるのだが…。本書は、国家権力源泉ともなり、抑圧の対象ともなる存在として、「人びと」という言葉を用いる。
 そして、人びとの意思は多様であったり、明確でなかったり、流動的であったりする。そのときに必要なのは、人びとの利益を集約することとだけではなく、熟議を通じてそれを言い出すことなのだ。
 政治献金が認められていると、政治家が特殊利益の虜になり、政策判断が歪んでしまう。利益政治の偏りをただすには、多様な利益団体がつくられ、お互い牽制すればいいという見解もあろうか(毒をもって毒を制す。多元主義)?しかし、組織化しやすい利益と組織化しにくい利益がある。ううう。あらかじめ負けてしまう。と、一読者は諦めそうになるが、本書は諦めない。組織利益と未組織利益の不均衡は政治的平等と相容れない。この不均衡を解消するために、競争、参加、多様性のそれぞれを強化する必要がある、と説く。
 まず、「競争」。1990年代の政治改革と政界再編を経て、新自由主義を自民党と民主党が共有し、政党対立軸は不明瞭になっている。だからこそ、マニフェスト選挙で数値目標や行程表が強調された。選挙は政策の相違ではなく統治能力の相違を競うものになるなど、カルテル政党化が進んでいる。他方、自民党は、新自由主義的な政策を志向した埋め合わせをするかのように、右派イデオロギーの強い集団への依存を強め、選択的夫婦別姓反対等女性の自己決定権を標的にする政策を掲げるにいたった。右派の主張がエスカレートすれば、競争的民主主義を超えた、「文化競争」、安定的な民主主義を営むのがおよそ無理な社会の分裂を引き起こしかねない。
 次に「参加」。1990年代の政治・行政改革を経て、少数派が影響力を増大させ、「参加」が狭められている。新自由主義改革を先導する関連会議では労働者代表が1名、あるいは外されさえするようになった。審議会における合意形成が機能しないのであれば、国会での審議の重要性は高くなるが、「ねじれ」が解消された国会で、チェック&バランスが図られる状況にない。多数決民主主義には、多数決が保証されないというパラドックスがある(小選挙区制は死票を多く生み出すことを想起すべきである)。議会の多数派は、社会の多数派ではない。民主的自由が制限されないためには、民主的決定において、@意思決定に影響を受ける当事者が参加できること、A過去の意思決定に不服な者が次の意思決定に関与できる余地を作ること、が挙げられる。とすれば、代表制をより高めることができる審議会の有用性がみえてくる。そして、審議会方式が空洞化しつつある日本の現状が深刻であることも。
 民主党は、政府内の審議過程において代表の包括性を高めようと試みていたという。すなわち、民主党政権は、内閣府に障がい者制度改革推進会議を設置し、構成員26人のうち過半数にあたる15人が障がい当事者または関係者によって占められる画期的なものであったという。さらに、熟慮民主主義やデモ等の直接的な参加なども、代表者と私たちの間の対話を質の高いものにしていく(政策過程の内側と外側の参加をどのように結ぶかが重要)。
 ところで、日本の福祉国家の特徴は、先進民主国において標準的なイデオロギー軸である自由主義、保守主義、社会民主主義で政党を分類するのが難しいことなどがある。自民党の福祉ビジョンの骨格をなすのは、国家家族主義、協調主義、生産主義である。国家家族主義、すなわち、福祉を社会権としてとらえず、自助を基本とし、それで立ちいかない場合にのみなかば恩恵として福祉政策を行うという発想は、他の先進民主国では見ることができない。国家は家族を支援するものではなく、家族が国家を支えるものとされ、できるだけ国家に負担をかけないよう自助努力して家族福祉を強いられる。おお、生活保護バッシングで行きかった罵詈雑言の背景を見い出す。
 自民党もかつては協調主義、生産主義をベースとしてきたが、どちらも新自由主義にとってかわられた。新自由主義は、「雇用を通じた福祉」を機能不全に陥らせ、格差を拡大させた。民主党は格差問題に着眼し、ここに新たな政党対立軸を見い出したが、政権をとった後、その理念を政策に落とし込むことに失敗した。
 日本の右派勢力にとって国家家族主義は核心に位置するイデオロギーである。異性愛規範、法律婚規範、嫡出性規範、永続性規範に支えられる近代家族を支えてきた法制度は欧米先進国では徐々に変革が進んできた。しかし、近代家族の法規範を国家家族主義の根幹とする日本においては、変革が容易ではない。選択的夫婦別姓に右派は激しく抵抗するが、その理由は「家族が壊れる」ということだ。その抵抗は、実際の家族関係が壊れることではなく家父長的秩序が壊れることを恐れているがゆえのことである、と。私を含む弁護団はささやかな闘いを地味に続けてきたつもりだったが、どえらい闘いの最前線にたっていたのだろうか…。選択的夫婦別姓への不寛容さの根底にあるものと、「子どもの育ちを社会全体で育てる」という民主党の物言いへの反発の根底にあるものも同じ。子育てはあくまで母の犠牲のもとにあるべきという考えの反発も、国家家族主義のあらわれだ。国家家族主義からすれば何重にも規範から逸脱するシングルマザーは貧困率が50%を超すなど深刻なレベルであるにもかかわらず、関心が払われず、適切な再分配がなされない。
 格差の拡大、企業の影響力の増大は、市民間の政治的平等を掘り崩し、民主主義を侵食する。代表民主主義の再生にとっても、経済的格差を縮小させるような財政政策を実現することが大切である。
 競争、参加、多様性の全てが弱まりつつあることが、代表制民主主義の機能不全の原因であるとしたら、それらを全て強化することが、代表制民主主義の立て直しのために急務であることがわかる。選挙とデモ、さらには国家と個人のあいだに位置する中間団体が必要である。しかし、組織化されにくい利益があり、その利益は恒常的に排除されかねない。組織化されにくい利益をまとめあげるために汗をかく人が、そして、汗をかく人を勇気づけ支える中間団体が必要である。その中間団体に集う人全員の尊厳が守られ、エンパワメントされる場であることも、その中間団体が民主主義の基盤となるには必要である。うわ、難しそうだ、と思いきや、例として、私も加わっている「全日本おばちゃん党」等の取組みが紹介されている。なんだ。構えることはない。案ずるよりも、実践が大切だと胸をなでおろす。
 代表制の多様性の確保の観点から、男女の不均衡を早急に是正する必要性が指摘される。実態として女性が排除されている中で成り立つ意思決定が民主的であるとは、到底いえない、という一文に目からうろこである(という私自身の目がいかにくもっていることか)。方法としても、各国で採用されているクオータ(性別等で議員数を割り当てる)やパリテ(議員数を男女同数にする)が既に参考にできる。性別比例の考えは、第三の性の政治代表にも門戸を開く。意思決定における性別の不均衡の解消は、女性のなかの多様性もより代表される。そればかりでなく、今まで以上に競争にさらされる男性議員もまた、多様性の観点から厳しくチェックされるようになるのだ。本書を読めば、このままクオータにもパリテにも理解が深まることが、この社会が代表制民主主義の停滞から脱却するためには必要であることがわかる。
 この国の代表制民主主義の機能不全のありようを読んでいく過程は気力が萎えていきそうな気がするが、頑張って読み進めよう。読み終われば、代表制民主主義の再生の手がかりを得て、楽観的になれるはずだ。(良)
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